« 2004年11月 | メイン | 2005年01月 »

2004年12月21日

舞台とテレビ

僕の趣味は観劇である。

昔は、大劇場の迫力満点の大掛かりな演出を楽しんでいたが、最近は逆に、小・中劇場での観劇を好むようになってきた。きっかけは、2002年に上演された井川遥主演の『HAKANA』。ファンクラブの先行予約で、幸運にも最前列の席が取れた。毛穴が見えそうなほどの至近距離で、彼女は悲しい場面では本当に涙を流し、遊女に扮しては妖艶に踊っていた。

その日を境に、2ヶ月に1度は小・中劇場に足を運ぶのが習慣になった。

ところが、その舞台は同時に、僕に大きな疑問を抱かせた。

ちなみに、井川遥は『HAKANA』に出演する直前まで、フジテレビの月曜日9時のドラマ枠、いわゆる「月9」で明石さんまや木村拓哉と競演していた。月9を見る人は1千万人ほどもいると言われる。一方で、小・中劇場のキャパシティは200~500名。

月9に出演するほどの人気女優が、たった数百名のために体を張って演技をし、しかも、映像として後世に残らないもののために、2ヶ月もハードな稽古を積む。

「テレビなら、一度に数百万人に見てもらえるのに、何を好き好んで数百人のために演じるのだろう?」
人気俳優の舞台を観に行くたびに感じる釈然としない思い。

ところが、先日、ひょんなことからその疑問は氷解した。

渋谷のとあるバーで知り合ったある俳優の女性マネージャー。
彼女曰く、その大物俳優も、活動の4分の1は舞台に当てているそうだ。訳を聞くと、彼女は2つを理由として挙げた。

1つは、観客のナマの反応を感じたいから。

1つは、お金と足を使って自分の演技を観に来てくれるファンあってこその俳優である、との思いから。

「だって、月9、月9と大騒ぎしたって、その反応は視聴率という無味乾燥な数字でしか量れないじゃないの。私に言わせれば、『猫が見てても視聴率』よ」と彼女は笑う。

その話を聞いて、僕は本に思いを馳せてみた。
確かに、本もテレビ同様に、多数の人々に自分の知識、思想を具現化して伝達する手段の一つではある。しかし、振り込まれた印税だけで読者の反応を推し量ることには限界がある。いや、それではあまりに虚しくはないか。

それに、一考しただけでは、本はテレビに近いメディアのように感じるが、熟考すると、より舞台に近い。本は、テレビのように、茶の間に座っていたら無料で手元に届くわけではない。今ではオンライ書店もあるが、お金と足を使わなければ手にすることはできない。

もし演技が下手だったら、拍手を拒む人もいる。途中で寝てしまうか、退席する人もいるだろう。身銭を切って足を運んだ人の当然の権利だ。そして、観客のそんな反応を見たくないから、役者は一瞬、一瞬を大切に演じる。

ライターも同じであると私は思う。
途中で放り投げられるような本を書いていたら、必ずや愛想を尽かされるに違いない。

正直、僕のレベルでは、執筆する本すべてが5つ星とはいかないが、せめて、拍手を拒まれるようなものだけは書くまいと、一文字、一文字に心を込める。

感想をメールでいただいたり、Webサイトでレビューを目にすると、読者と心が通い合った、と感じる。

そして、その瞬間に僕の脳内から溢れ出るホルモンは、役者が舞台に立っているときに溢れ出ているそれと同じものではないだろうか。

役者やライターに限った話ではない。
全力で仕事に取り組み、満足のいく評価を得る。
その瞬間に脳内で物質化するホルモンは、何物にも変えがたい最高のご褒美である。

2004年12月06日

これはピカソね!

どうしても、書き殴りのブログに馴染めない。しかし、「やろう」と思った以上、週に1つくらいはアップしないと・・・。ということで、ショートストーリーでお目汚し。

とある美術館。優雅に鑑賞していたセレブ(と思われる)な夫人が言った。

「あら、これはマネね。私、この作品、大好き」

恐る恐る館員は言う。

「奥様。それはモネでございます」

恥ずかしさをおし隠すための演技か、わざと不機嫌そうな顔をして見せた直後、再び、夫人が言った。

「あら、サガールじゃないの。ここ、素敵な作品が多いわね」

再び、館員。

「奥様、それはシャガールでございます」

しかし、その直後、益々、大恥をかいた夫人に一発逆転のチャンスが訪れた。

「あら、この不思議な絵。これはわかるわ。これはピカソね!」

「いえ、奥様。それは鏡でございます」