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2005年01月31日

気持ちは晴れましたか?

 夕方、神保町にて某印刷会社の社長と打ち合わせ。神保町は、10回以上行っているのに、行くたびに迷う。前もブログで書いたが、とにかく、僕の方向音痴ぶりが思いっきり発揮される街だ。

 今回も、指定場所の喫茶店がわからなくなり、キムラヤでレジにいた中年の男性にお聞きすると、最初はムスっとして何も答えてくれない。しかたなく、隣のレジの人に聞こうとしたら、その中年の男性は「こっちの方角。だから、この店を出たら左に曲がりな」としかめっ面。

 確かに、僕は客でも何でもなく、単なる尋ね人ではあったが、レジはそんなに混んでいたわけでなし、「何も、そんなに邪険にしなくても」と思いつつも、お礼を言って教えてもらった方向に行くと・・・

 正反対の方向だった(T_T)

 人間なら、虫の居所の悪いこともあるだろうが、わざわざ逆の方向を教えて、人を困らせて、それで気持ちが晴れるのだろうか。結果的に、社長をお待たせすることになってしまった。

 帰宅すると、某企業から電話が。1月7日にお会いした会社だ。詳細を明かせる段階ではないが、書類審査と面接に合格したとのこと。ちなみに、この会社の社員になるわけではない。「じゃあ、一体、何の会社に合格したの」ですって? ですから、詳細は明かせないのです。

 お話できる時が来たら話します。いずれにせよ、二次審査も無事に通過し、ほっと一安心。

2005年01月30日

林葉直子 vs 幼なじみの友人

 僕は、小学校5年生の時に、宮城県、岩沼市から、静岡県、富士市に転校した。だから、小学校4年生までの友人はいない。現在付き合いのあるもっとも古い友人は、小学校の5年生の時の幼なじみだ。未だに付き合いのあるのは2人で、この2人が僕にとってのOldest friendsだ。

 その中の1人(OY)は、小学校2年生の時に静岡県将棋大会で優勝した有段者。以前から、直子さんに、「一度、彼のお相手をしてあげて欲しい」とお願いしてあったのだが、本日、その対局が実現した。

 結果は・・・。言うまでもない(笑)。直子さんの圧勝、というか、ほとんど勝負にならないほどの差。過去の話とはいえ、10年間タイトルホルダーだった天才女流棋士に、静岡県のこども大会の優勝者(これはこれで凄いことだが)がかなうはずはやはりなかった。

 2回対戦したが、1回目は、将棋音痴の僕にはどちらが勝っているのか、よくわからない状態で、OYが、あえなく「参りました」。

 あまりにあっけなく終わってしまったので、サービス精神旺盛な直子さんが、「もう1回やろうよ」と言ってくれて、リターンマッチ。しかし、2回目は、素人の僕でさえわかるほどのそれはそれは見事な負けっぷり。直子さんが「角」に手を伸ばした瞬間、「あ、OYの負けだ」とわかるほど、非常にわかりやすく彼は負けてくれた(笑)

 将棋で、あんなにわかりやすい負けっぷりを見たのは生まれて始めてだ(爆)

 それはともかく、その後、3人で、何時間かわからないが、夜遅くまで談笑。徳島に住んでいた経験のあるOYが、徳島のうなぎ自慢をすれば、直子さんは、やはり地元の福岡の魚自慢。僕は、上京して見つけた銀座の「塩のあぶりトロ」が絶妙な寿司屋の自慢。

 ちなみに、この寿司屋。ちゃんと値札があります(笑)。所詮、僕が行くところですから、「時価」ではありません。そんな店では、寿司も喉を通らず、お会計の時に白目をひん剥いて救急車のお世話になるのがオチです。

 その後も、グルメ談義が続いたが、「東京は、本当に、何を食べても美味しい街だ」と、さかんに主張する僕に向かって直子さんが一言。

「高いんだから美味くて当然じゃない。別に、東京は凄くないわよ」

 将棋で巴投げを食らったOYを笑っていた僕が、グルメ談義で直子さんに一本取られてしまった(バシ!←受身の音)。

 正直、直子さんが著名人であること、将棋の天才であることを、ふだん意識することはなく、1人の友人として接していたが、今日ばかりは、彼女の天才ぶりを間近で見ることができ、少し得した気分になった。

 これも、こてんぱんに負けてくれた彼のおかげだ。

 ありがとう! OY!

2005年01月28日

ボクは回遊魚

 以前、ブログで書いた『女子大生会計士の事件簿』の著者の山田真哉さんに会いに行く。自宅マンションからたったの一駅。山田さんはもちろん、その事務所の方々は、全員素晴らしい人たちで、物凄く意気投合。大いに話も弾んだが、僕はともかく、みなさんはお仕事中だったので、後ろ髪を引かれながらも「近々にみんなで食事をしましょう」と言って事務所を後にする。

 猛烈にお腹がすいていたので、久しぶりにタクシーを利用し六本木へ(今年の目標の1つは、タクシーを使わないこと、であるが、そこから六本木は、電車の乗り継ぎが悪い上に、タクシーで北上すれば非常に近いので、タクシーにした。実際、1000円かからなかった)。

 さて、昨日、『人生は割り算』というエッセイを来週、不死鳥ドットコムに掲載しようと思っている、と書いたが、同時に、1つ思ったことがある。かいつまんで話すと・・・。

 僕は変化がないのが嫌いだ。つまり、毎日、「今日も生きていた」という証のようなものがないと我慢できない性格である。
 その点、プログラマーだった昔や、ライターの今は、自分に適した職業だと思っている。プログラマーなら、今日は200行のコードを書いた、今日はバグを3つ潰した、といった目に見える成果物と進捗がある。
 ライターなら、今日は3ページ書いた。今日は、構成を練り直した、といった目に見える成果物と進捗がある。

 つまり、この目に見える「成果物と進捗」がないと我慢できないのだ。最近、僕は、ブログのタイトルを『ボクは不死鳥』に変更したが、言うなれば、「ボクは回遊魚」である。

 泳ぎ続けていないと死んでしまう回遊魚と同じで、常に全力で何かに打ち込んでいないと生きている気がしない。友人は、長い人生の中では、停滞の時期もあるし、あえて、何もしない方がいい時期もあるというが、「大殺界だから、向こう3年は何もするな」なんて細木数子に仮に言われても、僕は絶対にじっとしていないだろう(細木数子に逆らうなんて、神をも恐れぬ行為(笑)。
 
 その結果として、物事が悪い方に進んでも構わない。そう、本気で思ってしまうくらい、僕はじっとしていられない性格である。考えてから行動しているつもりだが、時に、行動した後に考えることもある。いや、厳密には、「考えながら行動してしまう」のが、良くも悪くも僕の習慣であるような気がする。

 さて、拙書『Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記』だが、素晴らしいレビューを幸運にも見つけることができた。感謝の気持ちを込めてトラックバックをさせていただくことにした。

2005年01月27日

人生は割り算

 早々に、日経ソフトウエア誌の5月号(3月24日発売)のエッセイを書き上げる。

 実は、このブログ、時々、体験した日付と実際に書いている日付が、前後に1日程度ずれることがある。もちろん、システム上の問題ではない。僕が、単に、こまめに毎日更新できていないだけだ。

 ということで、昨日のブログに書いたが、実際には一昨日、僕は『Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記』の書評のお願いということで、大手新聞社9社に本を送ったが、とんでもないミスをしていたことに気づく。

 某新聞社から電話があり、「お、早速、反応してくれたか」と喜んだのも束の間、「部署が書いてないので、荷物の処理に困っています。どの部署に届けますか?」という問い合わせだった。

 うかつだった。当たり前と言えば当たり前だ。部署も書かずに新聞社に送っても、書評担当者に届くはずがない・・・。こんな当たり前の事に気づかないなんて・・・。

 もちろん、「書評担当者にお願いします」と答えて、「それなら編集部に届けておきますね」と電話の向こうの人は言ってくれたが、さすがに、かなりへこんでしまった。

 残りの8社はどうなったのだろう。荷物の受け取り部署が特定できずに、放置されたままなのかもしれない。仕方がない。来週、1社1社、電話で、荷物がどうなっているか確認をしてみることにしよう。

 何て間抜けなんだろう、僕は!

 さて、冒頭に書いたとおり、今日はエッセイを1本書いた。候補は2つあったが、迷った末に、1つに絞ったので、日の目を見なかったネタが1本あるわけだ。これは、来週の火曜日にでも上げるとして、とりあえず、どんな話だったかをかいつまんで話したい。

 よく、「人生は掛け算」という人がいる。つまり、人間には、生まれ持った先天的な能力がある。僕たちは、これを「素質」「資質」と呼ぶ。この素質に、育った環境、要するに、家が金持ちかそうでないかとか、親の愛情をどれほど注がれたかとか、こうしたものを掛け算していった結果が、「現在」である、という考え方だ。

 もちろん、これには一理ある。しかし、「10年後に自分はこうなっていたい」という目標設定をする。そして、そのために、これからの3年間をどう過ごすのか、中期目標を立てる。その中期目標を達成するために、今年は何をしなければならないかを考える。今年、そのステージに到達するために、春までには何をすべきか。希望どおりの春を迎えるために、1月はどうやって過ごすか。悔いのない1月にするために、今週すべきことは何か。そして、今日は何をすべきか。それが「現在」である。僕はそう考える。

 要するに、人生は割り算なのではないか。そう思えてならないのだ。

2005年01月26日

ベファーナは実在した!

 一昨日のブログで紹介したとおり、拙書『Excel VBAに恋をした!?』は、国内初の試みとなるその斬新性から、12誌にて14回掲載されている。もう、これで十分すぎるくらいだが、みなさま同様、私も常にできる努力は惜しまずに生きている。

 ということで、今日から、その12誌以外の新聞・雑誌編集部に、書評のお願いということで、案内状を作り、著者プロフィールを作り、そして『Excel VBAに恋をした!?』を封筒に梱包。そのあと待っていたのは、私が一番苦手な送り状の宛名書きだった。これも、以前にブログに書いたとおり、「苦手」ではあるが、「雑用」だとは思っていない。「雑」に仕事をしないように、1通1通、心を込めて宛名を書いた。終わった時には朝の4時だった。

 そして、起床後、12時に、自宅マンションから徒歩2分のヤマト宅急便に持ち込む。ちなみに、今回お送りした先は、大手新聞社9社である。どこか1社でも、書評で取り上げてもらえれば、これに勝る幸せはない。

 その後、13:30から翔泳社にて打ち合わせ。これでやっと、2005年の第一弾の書籍が決定した。第一弾は共著となる予定。15:30から1時間、その共著の人とお茶を飲みながら作業分担を話し合ったり、世間話に花を咲かす。彼女はそのまま帰宅したが、僕はその後の予定のために目黒へ移動。

 17:00から技術評論社にて打ち合わせ。上述の書籍の次の書籍になる可能性もある書籍について話し合ったが、本来の目的はそれではない。その後、他の2名も加わって、『Excel VBAに恋をした!?』の打ち上げを下北沢のイタリアンレストランで行う。

 このレストランの名前は『ラ・ベファーナ』。なんと、『Excel VBAに恋をした!?』で、主人公のゆたかがデートをする『ベファーナ』と同じ名前のイタリアンレストランが下北沢に実在したのだ!(『Excel VBAに恋をした!?』では、『ベファーナ』は青山にあることになっている)

 これには驚いたが、それよりも驚いたのは、料理の美味さ! 下北沢は、家からは決して近くないが、また行きたいと思った。とにかく美味い。また、下北沢に行ったのは、実に10数年ぶり。懐かしかったが、それよりも、昔夢中になって見ていたTVドラマ『高校教師』に何度も登場したロケ現場の踏み切りを渡るときには、桜井幸子一筋だった当時の自分を思い出した。

 当時は、COBOLで開発した販売管理、生産・工程管理、財務会計などのパッケージソフトが売れていて、まったく仕事をする必要がなかった事を懐かしく思い返す。

 いずれにせよ、これで、構想2年の自信作、『Excel VBAに恋をした!?』は一区切り。よし、明日からまた頑張るぞ! そんな気分になれた1日だった。

2005年01月25日

六本木のJAZZバー、一時閉店

 非常に残念なことですが、私が出資している六本木のJAZZバーが、一時閉店することになりました。場合によっては、このまま完全閉店に追い込まれるかも知れません。

 以前、このJAZZバーを応援する集いを開かせていただき、そのとき、ご祝儀を下さった方もいらっしゃる以上、私には、話せる範囲で事の顛末を報告する義務があると判断し、あえて、公表させていただくことにいたしました。

 まず、店の経営状況ですが、私が経営参加してからは、ランチのカレーのリピーターもでき、肝心の夜のJAZZバー経営も、月曜日、火曜日は今ひとつ客の入りは悪かったのですが、ライブがある水曜日は毎週大盛況、木曜~土曜もまずまずで、私が経営参加して3ヵ月後の昨年11月には、単月度黒字を記録していました。12月も同様です。

 これだけ考えれば、閉店する理由は何もありません。実際、私も、まさか閉店に追い込まれるとは思ってもいませんでした。

 ところが、1つだけ、私が知らされていなかったことがあります。それは、この物件の前のオーナー(Sさん)が、物件の大家に多額の借金をしていたのです。実際、私が経営参加するまでは、毎月赤字だったわけですから、私は、Sさんが身銭をきって店を存続させていたのだと思っていましたが、実は大家に借金をしていたのです。

 その後、オーナーがSさんからKさんに変わるわけですが、このKさんが、私が「東京のお父さん」と呼ぶ恩人で、Kさんと私が組めば、店を黒字化できると判断。私も出資者、要するに、この店のオーナーになったわけです。

 ところが、多額の債務を抱えていたSさんと大家との間で、ある取り決めがありました。私は、その取り決めのことは聞かされていませんでした。それは、「毎月の返済計画が1度でも滞ったら、二度とSさんはもちろん、Sさんの保証人にもこの物件は貸さない」というものでした。

 そして、昨年の12月末、ついに、Sさんの返済が滞ってしまったのです。ミュージシャンであるSさんにとっては、年末は稼ぎ時。お金がなかったわけではないのですが、「つい、うっかり」返済を忘れてしまったのです。

 催促状を見て慌てて返済したSさんですが、「契約は契約」ということで、Sさんは、二度とこのお店を借りることができない立場になりました。もっとも、Sさんはすでにこのお店を手放してKさんに譲っており、今後も、Sさんはきちんと返済を続けていけばいいだけの話。この話を聞いたときにはそう思いました。

 しかし、上にも書いたとおり、「Sさんの保証人」も、もうこのお店を借りる事はできません。その話をコーヒーを飲みながら他人事のようにKさんから聞いていた私だったのですが、東京のお父さん、Kさんから信じられない一言が・・・。

「そのSさんの保証人が俺なんだよ・・・」
「ちょっと待ってください。ということは、Kさんもあの店を出て行かなければならないんですか?」

「そういうことになっちゃったよ。だけど、契約書上のオーナーは別の人でも構わないので、今後も俺がオーナーとしてやっていくよ。今、その新オーナーを探しているところだよ」
「すみません。そういう話だったら、私は、この話から降りさせてください。私は、Kさんがオーナーだから投資したんです。紙の上とはいえ、別の人がオーナーになる店に力を貸すことはできません」

「大村君がそう言うと思って、君が出資したお金を返せるように、今日は、現金持参で来たよ」

 そして、投資したお金を返してもらって、僕はその喫茶店を後にしました。

 Sさんがきちんと返済し続けてくれれば大丈夫。そう信じていたKさんをあまり責めたくはないのですが、私が投資をする前に、そして、私が、多くの方々にあのお店を告知する前に、それほど大切なこと、また、それほど危険な事は話しておいていただきたかった。そう考えると、残念でなりません。

 今後の事はまだわかりませんが、これまでお店を応援してくださったみなさまに、この場を借りて、謝罪と御礼を申し上げます。

                              大村あつし

2005年01月24日

『Excel VBAに恋をした!?』掲載雑誌

 2月24日、発売の日経ソフトウエア誌の巻頭エッセイ、『大村あつしのSecond wind will blow』の戻しが来た。珍しく、4行もアフレていたので、削る作業を行う。

 この日は、終日、ブログのつながりが悪かった。

 さて、『Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記』だが、IT出版業界では、決して大袈裟ではなく、非常に大きな話題となっており、随分と多くの雑誌に掲載された。また、今後、多くの雑誌に掲載されることが決定している。
 忘れないうちに書き留めておくことにしよう。

・日経PC21(2回、掲載)
・日経PCビギナーズ
・日経ソフトウエア(以上、日経BP社)
・アスキー.PC(2回、掲載)
・月刊アスキー(以上、アスキー)
・dotNET Magazine(翔泳社)
・Windows Start
・PC MODE
・PC Fan(以上、毎日コミュニケーションズ)
・パソ友(主婦の友社)
・SOHOドメイン(サイビズ)
・YOMIURI PC(読売新聞社)

なんと、12誌で14回も取り上げられている。やはり、Excelマクロと恋愛小説(巷では推理小説と呼ばれているが)をドッキングさせた、国内初の斬新な手法が、各雑誌の編集者の興味を引いたのだろう。

もしかしたら、あと、数誌増えるかも知れない。30冊弱の本を上梓してきたが、これだけ多くの雑誌に取り上げられたのは、初めてかも知れない。

2005年01月23日

「VBAest」って一般用語?

 寝坊を楽しみ、だらだらとテレビを楽しみ、夕方、友人達と食事をするために外出。連日の飲酒で、ちょっとバテてしまった。まぁ、明日は久しぶりに外出予定がないため、体を休めることにしよう。

 この日、東京は雪だった。10年に1度しか雪が降らない富士市。しかも、その雪も、汚いたとえだが、ふけのようなもので、積もる事は絶対にない。それと比較して、東京は今夜、この冬、何度目の雪だろう。

 さて、日記的には大きな事件はなかったので雑感を。

 あるサイトで、「VBAest」という単語を冠した記事があります。この「VBAest」ということばですが、あまり浸透はしていませんが、私が読者からいただいたニックネームで、「VBAをする人とVBAの最上級」の2つの意味を持つ造語です。
 名付け親の私の読者には申し訳ないのですが、私は、「プログラミングスキルは、ライターよりも開発者の方が上である」が持論ですので、不死鳥.comで述べているとおり、私自身は積極的には使用していません。
 そもそも、ライターの仕事は、パイオニア的に新しい技術をほとんど資料もないような状態の中で試行錯誤しながら習得しそれを世に広めたり、また、論文のような無味乾燥な表現では伝わらない事をいかに簡単に伝えるかが仕事なわけですから、技術力で開発者にかなうはずがないのです。
 もちろん、その代わりに、「教える」というスキルに関しては、当然、ライターが上でなければなりません。

 でも、あまり浸透していなくても、また、私自身は積極的に使っていなくても、業界でそう紹介されることは少なくありません。60万部を売り上げた私の本の著者プロフィールをはじめ、随所で私のことが「VBAestの愛称を持つライター」と記載されているのです。インターネットを見ていても、私のことを「VBAest」「ブイビエスト」と呼んで下さっている方々が多数いらっしゃいます。

 ここは、みなさまも意見が分かれるところかもしれませんが、上記のような状況を総合的に判断すると、「VBAestは大村あつしと特定できるニックネームである」と私は結論付けるにいたりました。

 そこで、上記の記事を掲載している会社に、「『VBAest』という、人によっては『大村あつし』と判断されてしまう用語は使わないでください」とお願いしましたが、「『VBAest』は、『VBA』に『est』が付いた最上級だから、『上級者』を意味する一般用語です」と反論され、その後の数回の私の取り下げ要求に関しては、回答すらいただけずに完璧なまでに無視され続けています。

 ということは、取り下げていただけない以上、私にできることは、こうして自分のサイト(ブログ)に「あの『VBAest』は私ではありません」と書き込むことだけです。

 みなさまは、どちらの言い分が正しいと思われますか?また、みなさまは、Cが得意な人をCest、JAVAが得意な人をJAVAest、Perlが得意な人をPerlest、COBOLが得意な人をCOBOLestと、一度でも「一般用語として」呼んだことがありますか?

 もし、「ある」とおっしゃるのなら、私の見解が間違えていますので、私が考えを改めなければいけないと思います。

2005年01月22日

超ビッグなミュージシャンと遭遇!

 この日は、ライブ三昧。

 その前に、朝、早起きして、2ヶ月ぶりに美容院に行く。髪を短くカットして、ブリーチもした。かなりのイメチェンだ。そして、帰宅後、ライブに出かける時間まで2時間の仮眠。

 みなさんは、内田聖治さんというボーカリストはご存じないだろう。『大都会』のヒット曲を持つクリスタルキングの田中さんが抜けた後の2代目ボーカルで、現在はソロで活動している人だ。

 非常に気の合う友人なのだが、彼に誘われて、六本木のバーに、彼のライブを観に行ってきた。僕たちメンバーは4人で、全員がライター、もしくは元編集者という顔見知りの同業者だ。

 はっきり断言する。内田さんは、国内随一のシンガーだ。もちろん、彼と同レベルのシンガーは何百人、いや、何千人もいるかもしれないが、彼の歌声は人間の限界ともいえる最高レベルに到達している、文句なしの超実力派シンガーだ。ジャーニーの元ボーカルで、『セパレイト・ウェイズ』『オープン・アームズ』『オー・シェリー』などの大ヒット曲を持つスティーブ・ペリーのような高音も歌える、そして、彼以上に声量のあるハスキーな声の持ち主。

 スティーブ・ペリーが登場した時には、「10年に1人の逸材」とまで言われたのだから、内田さんが、いかに素晴らしいシンガーかがお分かりいただけると思う。英語の発音は、黒人のソウルミュージシャンに近い。目をつぶって聞いていると、黒人が歌っているような錯覚を覚える。

 こんな凄い人と、昨年の夏に友人になれたのはなんともラッキーな話だが、その彼の歌声を間近で聞ける幸せ。また、彼の凄いところは、持ち歌の多さ。大抵のリクエストには応えてくれる。

 その日、僕たちの中にライターのOさんがいた。彼女はロッド・スチュアートの大ファン。リクエストしたら、『セイリング』を歌ってくれた。しかも、ロッド・スチュアートそっくりの歌声で。鳥肌が立った。リクエストしたOさんは、もう、目がウルウル状態。

 ちなみに、ジャーニーの大ファンの僕は『オープン・アームズ』をリクエストしたが、アンコールで歌ってくれるという粋な演出を見せてくれた内田さん。

 そんな日本一のシンガーである内田さんのライブが終わり、その後、お酒を飲みながらしばし談笑。まだ、時間は9時だったので、そのまま4人で、以前、このブログでも書いたABBEY ROADへ、これまた、ビートルズのコピーバンドとしては世界クラスのパロッツの演奏を観に行く。

 席に案内された時、目の前に、ある大物ミュージシャンそっくりの外国人が座っていた。僕達4人は、全員、ある名前が浮かんでいたが、「いくら、ABBEY ROADが外国人タレントの出没ポイントとはいえ、まさかな」と、そのときには誰も声にはしなかった。

 そして、パロッツの演奏が終わると、通常ならば、そのまま控え室に直行する彼らだが、その外国人が、彼らを呼び寄せる。呼び寄せられたパロッツは、その外国人を囲むように記念写真に応じる。というよりも、パロッツが記念写真を撮ってもらっている、という雰囲気。

 ここでも、僕達は、その外国人の名前を頭に思い浮かべながらも「まさかな」と思っていたが、いずれにせよ、相当な大物であることには違いない。

 そして、写真撮影が終わると、彼は店を去ろうとしたが、そのとき、その様子が見られる位置に座っていたお客さんはスタンディングオベーション。2人のSPに警護されながら店を去る彼を見て、「これはひょっとしたらひょっとするぞ」と思い始める。

 そして、僕達の中の1人が、店員に謎の大物外国人の正体を聞きに行ったら・・・

 なんと! 武道館公演のために来日したスティングだった!

 腰が抜けた。僕たちの目の前で、ずっとスティングが酒を飲み、パロッツの演奏を聴いていたのだ!

 それがわかっていれば、記念撮影は無理でも、握手くらい求めたところだが(多分、SPに止められて、それもできなかっただろうが)、まさか、本物のスティングが目の前で酒を飲んでいるとは誰も思わない。後の祭りである。

 もし、今度みなさんがABBEY ROADに行って、パロッツがスティングと記念撮影をしている写真を見たら、写真には当然僕たちは写っていないが、そのすぐ横にいた僕たちの事を思い浮かべて欲しい(笑)

 その後のステージで、パロッツは、「さっきまでのステージは本当に緊張した。内臓が飛び出そうだった」とMCで語っていたが、それも当然だろう。ちなみに、かのスティングは、以前、モンセラット島チャリティコンサートで、ポール・マッカートニーとエルトン・ジョンの二人のピアノの伴奏で『HEY JUDE』を歌うという幸運を体験している。
 そのときの彼は、緊張と、あまりの感慨で、大物ミュージシャンとは思えない、純粋な子どものような瞳で歌っていたことを思い出す。

 あり得ない話だが、もし、本物のポール・マッカートニーがABBEY ROADにパロッツの演奏を聴きに来たらどうなるだろう・・・。パロッツも店の客も、全員、失禁してしまうだろうな、なんて想像をしてしまう。

 その後、僕はあまり好きではないが、一風変わったクラブ(踊る方の「クラブ」です)に他の3人を連れて行ったら、くだんの内田さんが歌ってくれたロッド・スチュアートのナンバーで瞳ウルウルだったOさんが、スティングと握手しそびれた悔しさを紛らわすためか、1人、そのクラブに残り、始発まで踊っていたそうだ。前から思ってはいたが、パワフルな女性だ(笑)

 とにかく、いい意味で疲れた1日だった。僕は、この日を生涯忘れない。

2005年01月20日

掲示板は名前の登録制が理想

 13時から、日経BP社の編集長と半蔵門のホテルのお洒落なレストランでランチをしながら打ち合わせ。約2時間に及んだが、非常に有意義な打ち合わせができた。

 情けないことに、それ以外に何をしたのか覚えていない(^_^;)(ちなみに、このブログは4日遅れの24日に書いている)

 恐らく、メール対応に追われていたことと思われる。

 4日前のことも思い出せないようでは、どんなに忙しくても、いや、忙しいからこそ、日々、ブログを書かなければと、決意を新たにする。

 そう言えば、ブログが遅れがちになり始めた17日に事件があった。これも、忘れないうちに書き記しておこう。

 みなさまの中に、インターネットの掲示板で、ご自分の名前やご自分のハンドルネーム、いずれにせよ、ある分野では幅広く知れ渡った、確実に個人を特定できる(同姓同名とか、たまたまハンドルネームが重なったなどの言い訳のつかない)名前を利用された経験がある方はいらっしゃるでしょうか?

 しかも、その「成りすまし」投稿が、質問者を意味もなく叱責している、誰が読んでも愉快ではない内容だったらどうしますか?

 17日、まさしく、私はこの経験をしました。
 私は、そのサイトは一切利用しないのですが(投稿はおろか閲覧もしない)、ある方が善意で、メールで、「違うとは思いますが、この書き込みは大村さん本人ですか?」と、私に成りすまして掲示板に書き込んでいる人物がいることを教えてくれました。

 そのメールによって事態を知った私は、当然にして、そのサイトの運営元である企業に、当該書き込みの削除を依頼しました。それに対するその企業の対応は、「書き込みの削除依頼には応じたが、そうした措置を講じたことは、一切、私には報告しない」というものでした。

 その企業からメールの返信がないので、仕方なく電話をしたら、

「投稿は削除してあります。確認すればわかります」

とにべもない返事。「いちいち電話をしてくるな」と言わんばかりの対応。

 「成りすまし」投稿を親切にも教えてくれた人にお礼のメールの一通も書くのが手間ならば、会員制にして、掲示板の名前は先願主義(早い者勝ち)の登録制にすべきでしょう。そうすれば、「成りすまし」は防げます。

 そうした努力もしなければ、被害者に謝罪もしない(これはまぁ、その企業も被害者ということで大目に見ましょう)、問題を指摘してくれた善意の第三者に「ありがとう」の一言もなし。

 別段、不快には思いませんでしたが、その会社の倫理観の欠落とゆとりのなさに、失笑を禁じ得なかったのは事実です。

 みなさまが同じ被害に遭われ、かつ、同様の対応をされたらどうしますか?

 倫理観が欠落するとゆとりがなくなるのか、ゆとりがないから倫理観が欠落するのか・・・。個人も企業も、気をつけたいものですネ♪

2005年01月19日

素敵な2人

 月曜日、火曜日と、2日で6つの編集部と打ち合わせをした僕を待っていたのは、お礼のメールをお送りしたり、打ち合わせ内容をまとめたりという、息つく暇もない激務だった。
 ただでさえ、毎日多数のメールをこなしているのだが、打ち合わせ後は、書かなければならないメール、読まなければならないメールが一気に溜まる。昔、会社を経営していた頃、一泊二日の出張などに行くと、その後、メール処理に追われていた事を懐かしく思い出す。

 夕方までに何とか事務処理を済ますと、僕は友人と一緒に目黒に向かった。Newsweek Japanに勤める友人のオージー(オーストラリア人)のDさんと、彼女の婚約者でリクルーター(日本語にすると、人材マッチング業、といったところか)のAさんと食事をするためだ。

 DさんとAさん。本当にナイスなカップルだ。僕は、Aさんに尋ねた。「なぜ、日本に来る決心をしたの?」。Aさんは答える。「彼女に連れてこられたんだ」。すかさず、Dさんが、「違うわ、あなたが勝手について来たのよ」。このやり取りに一同大爆笑。

 僕が通訳時代の英語の失敗談を話せば、Dさんは、自分の友人の日本語の失敗談を話す。こんな気軽な会話から、ストレスの話、カジノの是非、医食同源などなど、楽しい会話が家庭風居酒屋の食事をより一層美味しいものとさせた。
 もっとも、串の盛り合わせを頼んだのに、他の3人が誰も食べずに、1人で平らげなければならなかったのはちょっとまいったが(笑)

 今度、カードゲームでもしながらパーティーをしようと約束して解散。

 本当に素敵なカップルだ。明日も頑張ろうという気分になれた一日だった。

2005年01月18日

2つの偶然

 この日も2つの編集部と面会。

 もっとも、その前に「不死鳥.com」のメルマガを作成して発行。そのために、随分と早起きをした。

 さて、14時からアスキーにて、特集記事の打ち合わせ。いい感じの記事になりそうだ。

 17時からは読売新聞東京本社で面会。PC書籍談義に花を咲かせながら、非常に有意義な一時を過ごす。このビル、「大手町ビル」というのだが、昔は「大手町ビルヂング」という名前だった。NRI(野村総合研究所)と一緒に仕事をしていた時、よく足を運んだ建物だが、行く度に「変な名前のビル」と思っていた。
 そして、間抜けな事に、今回、読売新聞に行って、昔、自分が何度も訪ねたビルと同じビルである事に着いてから気付いた。「なんか見覚えがあるな。紀伊國屋もあるし」なんて思いながらドでかいビルの案内図を見ていたら「NRI」の名前が。「あ、俺、ここに何度も来たことがある」と気付いた。
 友人から「話を聞かない男、地図が読めない男」と言われるが、ここまで自分が方向音痴だとは・・・(苦笑)

 打ち合わせが終わったら、半蔵門線に飛び乗り渋谷で開かれる新年会に参加。この新年会は、実は、僕は六本木のJAZZバー以外に、渋谷のバーにも出資しているオーナーだが、そのバーの関係者および、幹事のKさんの主観と好み(笑)で集められた麗しき女性陣による総勢約20名のパーティーだった。
 店の名前は「土風炉」。いい居酒屋だった。六本木にもあるそうなので、今度は六本木の「土風炉」に行ってみよう。

 非常に楽しいパーティーだった。また、友人が一気に増えた。こんなペースで友人が増殖して行ったら、この先どうなってしまうんだろうと嬉しい悲鳴。

 早速、そこで知り合った人の事務所に、近日中に遊びに行く事になった。その人はその税理士事務所のトップなのだが、非常に有能な女性だ。さらに、彼女の部下がベストセラー、『女子学生会計士の事件簿』の著者と聞いたら、『Excel VBAに恋をした!?』の著者がご挨拶に伺わないわけにはいかないだろう。専門分野と小説をドッキングさせる手法では、向こうの方が先輩なのだから。
 しかも、彼女の事務所は、僕のマンションからたったの1駅だ。原付があれば5分かからないだろう(そうそう。早く、原付を買わねば!)。

 もう一人、その新年会で印象深かった女性がいる。美しい容姿に似合わず、関西弁でギャグを飛ばしまくる、吉本興業系列の会社に勤める元気のいい女性なのだが、名刺交換をした時、「あれ? 聞いた名前だな?」と思った。その瞬間、彼女も言った。「大村あつしさんっていうお名前、初めての気がしないんですが・・・」

大村「すみません。いただいたこの名刺の会社にはずっとお勤めですか?」
彼女「いえ、その前は○○にいました」

 それでピンと来た。実は、3年ほど前に、まだ僕がIT企業の社長だった頃、僕の会社とその会社の交流を深めるために、もしくは、何らかの分野でアライアンス(提携)ができないかと、その会社のCEO、COOと一緒に会食をすることになり、その手配をすべて任されたのが、その会社の○○という女性だった。そう、彼女がその○○だったのだ。僕達は、3年前に何度かメールのやり取りをしていたのだ。なんて世間は狭いんだ! と思うと同時に、やはり、東京は一線で活躍する人が集結している街だと思わざるを得なかった。
 そのときに実現しなかった会食の代わりではないが、今度、彼女と一緒に食事をすることになった。彼女は、出会ったばかりなのに、「みんなで温泉にでも行きましょうよ」と言っていたが。関西人はノリがいい(笑)。

 しかし、昔、何度も足を運んだビルと気付かずに訪れたビル。そして、その後出会った女性とは、3年前にメールのやり取りをしていた。

 2つの偶然を心行くまで楽しんだ1日だった。

2005年01月17日

余裕がなくなってきたぞ

 毎日コミュニケーションズ社にて、1日に4つの編集部と打ち合わせをこなす。もはや、ブログどころではなくなってきた(ということで、実は、これを書いているのは21日である)。

 17日に何があったか、記憶を蘇らせる。そうそう。非常に大きな事件があった。僕も出資している六本木のJAZZバーのメインオーナーが変わる事になった。場合によっては、僕もこの店からは手を引こう。

 夜は友人の女性JAZZシンガーのライブを観に六本木に行った。相変わらず、素晴らしい歌声だ。年末に、「アメリカに行って大地のパワーをもらって来る」と彼女は言っていたが、そのことばどおりのパフォーマンスに大満足。

 いずれにせよ、この日から、ブログを書いているような余裕がなくなる僕であった。そして、この状態が1週間続くことになる。

2005年01月16日

青色申告書がない!

 休日の今日。ゆっくりと体を休めながらも、確定申告の伝票入力は残りの8~12月分がすべて終了。あとは、申告書を作るだけだが、その申告書が手元にない。ネットで事情を調べたら、青色申告の届け出を提出しても、初年度は、申告書を届け出た人全員に自動的に郵送されるわけではないと書かれている(翌日、税務署に問い合わせたら、「全員に郵送する」との回答だったが)。

 そう言えば、会社を1人で切り盛りしていた時も、欠損金の記入書類が毎年届かずに、わざわざ税務署に取りに行っていた記憶が蘇る。税務署の人曰く、「紙の節約のために、全員に必要と判断される書類以外は郵送しません」とのこと。

 8割の会社が赤字申告なのに、変なところでケチるんだな、と思った事を思い出す。この理屈に照らせば、「青色申告の届出をしても、実際に青色申告をするとは限らない。だから、自分で取りに来なさい」ということなのだろうか(上述のとおり、税務署は「全員に郵送する」と言っている)。

 ちなみに、前年に青色申告をしていれば、翌年以降は自動的に郵送で届くそうだが、「青色申告します」と開業時に届け出ているのだから、紙代と郵送代の節約なのかわからないが、万が一申告書が届かないようならば、このような不親切な対応は辞めて欲しいと願わざるを得ない。

 夜は、映画、『東京原発』を見る。予想を上回る面白さ。そして、ウイットに富みながらも強烈に社会を皮肉る描写は秀逸。みなさんに自信を持ってお勧めできる1本だ。

2005年01月15日

実るほど、頭を垂れる稲穂かな

昨年12月25日に録画しておいたNHKスペシャルをコクーンで見る。

生命の歴史は淘汰と進化。強き生物は、進化する必要がないため、自分たちの時代を謳歌する。しかし、急激な環境の変化に適応できずに滅亡していった。逆に、弱き生物は、海から河に逃げ込み、薄い酸素の中、肺という機能を持つにいたり、障害物だらけの川底で生きるために手足の原型のようなものを持ち、さらに、陸に上がったら、少ない食べ物を正確に視認するために目が変化を遂げた。

こうして、弱いからこそ、進化という方法で生き延びてきたごくごくわずかな生命の子孫が我々人間である。ということは、進化の必要性を感じていない人間には未来がない。いずれは、自滅・絶滅というシナリオが描かれている。
そう言われても、その頃、当然にして自分はすでに死んでいるので、ピンと来ないところもあるが、「おごれる者は久しからず」。

地球の歴史、生命の歴史というとんでもない壮大な歴史でも、人間のたった80年の歴史でも、企業のたった30年の歴史でも、このことだけは真理のようだ。

実るほど、頭を垂れる稲穂かな。

2005年01月13日

定義付けの難しい職業

 何とも慌しい一日だった・・・。

 そもそも、起床したのが14時というのがまずい・・・(^_^;)

 忙しい時は重なるもので、携帯電話で話しながら、横のFAXが音を立てて紙を吐き出し、目の前の画面にはメールが続々。まさしくパニック状態。

 今日、1日で出したメールは、パソコンメール18通、携帯メール4通。受け取ったメールもほぼ同数。受けた電話は5本。その結果、17日に毎日コミュニケーションズの4つの編集部にご挨拶に行くことが決まる。

 アスキーとも、1つ仕事をすることになりそうだが、詰めは明日することになる。本日は、お互いの希望を語り合う程度の軽い交渉。来週、お伺いすることになりそうだが、来週は、分刻みとは言わないが、時間刻みの売れっ子タレント並みのスケジュールだ。さあ、どこに打ち合わせを入れようか。18日なら、2時間程度時間が取れそうだ。

 19時から、Surveyメーリングリストのオフ会に参加。顔は知らなくても、名刺を差し出すと、僕をご存知の方も多く、嬉しいやら気恥ずかしいやら。

 ちなみに、Surveyメーリングリストは、参加人数はMLとしては日本一と言われているが、昔、僕が主催していたMLの方が多分人数は多かったと思う。もっとも、昔の話で、今はどうかわからないし、そのMLには入会はしているが、メールソフトの自動振り分けで、そのまま普段は絶対に見ることのないフォルダに直行。昨年の4月からROMと言っても「Read Only Member」ではなく「Receive Only Member」(ただ受信しているだけ)のROMと化している。

 ならば、退会すれば、と思う人もいるかもしれないが、今後、本を書くときなどに、そのMLのやり取りが参考になるケースもあり得るし、FTTHで添付のないメールの受信など、数十通程度なら数秒なので、そのまま放置してある。

 今回のように交流会に行くたびに思う事は、自分は公人なのか私人なのか、ということだ。街を歩いていて、「あら、大村さん。写真を撮らせてください」なんてことは絶対にないが、名刺を差し出した時に、「あ、大村さんですか。私、本持ってますよ」「昔、連載読んでました」なんて仰っていただくと、自分の存在がパブリックなのかプライベートなのかがわからなくなるときがある。

 しかし、ITとは無関係の集まりに参加すると、100%、僕の事を知ってる人はいない。「ライターです」というと、「どんな取材記事を書いたんですか?」と言われてしまう。どうやら、出版とは無縁の方々には、「ライター」=「ルポライター」と認識されてしまうようだ。

 もちろん、ルポライターという職業が悪いわけではまったくないが、僕はルポライターではないので、当然にして抵抗がある。かと言って、「テクニカルライター」と名乗っても、製品に付属のマニュアルを制作している「マニュアルライター」と思われてしまう。これも、どちらの職業がより尊いかという問題ではないが、僕の職業を誤って認識されているわけなので、やはり抵抗がある。

 今年こそは、「作家です。主に執筆しているのはIT関係の本です」と自己紹介できるようになりたいものだ。

 そのためにも、一に努力、二に努力。頑張るぞ、という気持ちにさせられた有意義な一日だった。

2005年01月12日

大勢で食べる食事は美味しい! 楽しい!

 9時起床。

 10時、懐が寂しかったので、銀行に行ってお金をおろす。ついでに、銀行の隣の宝くじ売り場で300円の当たり券(外れ券とも言う(笑)を換金するつもりだったが失念。

 10:30~12:30。出資している六本木のバーの事で打ち合わせ。

 14時。神田神保町のサイビズにて打ち合わせ。

 帰宅後、7月分の伝票入力。確定申告の準備がまた一歩進む。

 夜は、総勢9名でお食事会。幹事は僕が務めたが、みんな本当に喜んでくれて、お店が閉まるというのに帰ろうとしないほどの盛り上がり。参加者は、各々、自分のブログなどに感想を書いてくれていたようだ。

 ブログを始めて12日。三日坊主を覚悟していたが、意外に続くものである。今日は雑感はなし。単なる行動履歴で、読んでくださった方には申し訳ないが、ブログは、備忘録や、後から読み返して、「あー、あの日、あの時が人生の転機だったな」と個人的に感慨に浸る目的もあるのでご容赦願いたい。

2005年01月11日

無知は罪?

 10時、起床。不死鳥.comのメルマガを作成する。

 14時、都内で、某出版社と打ち合わせ。自分の人生を左右するかもしれない、非常に大切な打ち合わせであり、また、非常に有意義な一時を過ごす。

 17時、場所を目黒に変えて技術評論社と打ち合わせ。『Excel VBAに恋をした!?』の販促活動を話し合う。12月の厳しい時期に発売された本としては大健闘しているらしい。月も年も変わり、これからの売れ行きが楽しみだ。

 夜は確定申告の振替伝票入力。6月分まで入力を終える。

 ニュースで、とある英会話教室に騙された人たちが顔出しでビデオ出演していました。謳い文句は

・50万円先払いすれば、初心者コースから上級者コースまで、好きな授業を受け放題。
・しかも、1年の終わりに、30~40万円、多い人で48万円も還付される

 すなわち、最高で、たった2万円で好きな授業が1年間受け放題ということです。

 当然にして詐欺(苦笑)。上述の人たちは集団で告訴していましたが、まことに申し訳ないのですが、一部の人にはあまり同情の念はわきませんでした。

 私もあまり詳しい事は知りませんが、確か、厚生労働省の「教育訓練給付制度」によって還付される額は、「20万円を上限とした拠出金額の80%」程度だったと思います。

 この制度をちらつかせられた場合、「そうか、50万円の授業料を一括で納めれば、30万円戻ってくるのか」と思ってしまった人は、同情の余地はあります。もっとも、大金ですから、しっかりと調べる必要があることに変わりはありませんが。

 それよりも、首をひねってしまうのは、「50万円を一括払いすれば、1年後に48万円戻ってくる」という話を鵜呑みにした人です。冷静に考えて欲しいものです。

・初級コースから上級コースまで好きなコースを受け放題、なんてあり得るのか?
・しかも、それが本当にたったの2万円で受講可能なのか?

 「何を生意気な」と仰る方もいるかもしれません。もちろん、騙す側が最も悪いのも承知の上です。それでも、誤解を恐れずに申し上げると、このレベルになると、騙される方にも非があるのではないかと感じてしまいます。少なくとも、画面に顔を出して、「私は被害者です」とインタビューを受けるのは、私なら恥ずかしくて到底できません。

 「無知は罪」ということばもありますが、こんなわかりきった詐欺に引っ掛からなければ、その英会話学校の犯罪は成立しないわけです。そう考えると、この言い伝えは「言い得て妙」なのかもしれない。そんな気がしてなりません。

2005年01月09日

荒れる成人式の責任はマスコミにあり

 数年前、四国だったと思うが、成人式で大暴れした数人組を市長が告訴に踏み切ってから、若干、おとなしくなったが、役所に勤める友人に聞くと、あいも変わらず、成人式は荒れているらしい。

 しかし、みなさん(と言っても、25才の人、40才の人、いろいろいるだろうが)、自分の成人の日の事を思い出して欲しい。あなたを含めて、周りの新成人は、みなさんおごそかに、祝辞を聞いていましたか? 完全に同窓会と化し、おしゃべりしまくってはいませんでしたか? 女の子は、(多数の人は)まだ結婚式の経験がない。すなわち、人生で初めての着物のお披露目。早朝5時に着付けときっちりセットした髪型で晴れの舞台を楽しんでいませんでしたか? もちろん、この女性心理を否定する気は毛頭ない。むしろ、可愛らしいとさえ思う。それに、成人した自分の振袖姿を見せるのも親孝行であろう。

 成人式の最中に携帯メールなどとんでもない、という人もいるが、僕の成人式の時には携帯電話がまだなかったに過ぎない。あれば、間違いなく、僕も退屈な祝辞など聞くことなく、メールをしたり、iアプリで時間を潰し、式典が終わったら、そのまま同窓会に流れ込んでいたことだろう。今の僕なら、1~2時間の退屈な祝辞も我慢できるが、20才の僕にそれができたかというと、まったくもって自信がない。

 確かに、当時は、壇上に上って酒を飲む、なんてパフォーマンスをやらかすバカはいなかった。それを考えると、当時より性質が悪くなっている、当時より幼稚になっている事は事実だ。

 しかし、彼らは、はっきり言ってしまえば、目立ちたいだけの臆病者だ。実際に、冒頭の数人組は、市長が告訴するという強硬手段に訴え、新聞沙汰になったら、みんな青ざめて、警察署で「もうしません」と大泣きしたという(成人式は一度きりなのだから、「もうしません」もあったものじゃないが・・・)

 要するに、

・誰かが成人式で暴れて目立つ
・マスコミが嘆かわしいと報道する
・その報道を見て、「よし、来年は俺が目立ってやる」と思う
・マスコミが嘆かわしいと報道する

の悪循環。きつい事を言うようだが、晴れの成人の日に壇上で暴れるくらいしか自己アピールをする手段のない臆病者を、「幼児化している。嘆かわしい」という正論でマスコミが取り上げ、彼らを増長させているに過ぎない。

 仮に、マスコミが無視を決めて、荒れた成人式を一切報道しなかったら、彼らも暴れがいがないだろう。いや、暴れない可能性も多分にある。

 成人式の邪魔をする行為は、明らかに刑事違反だ。僕はこう思う。

・マスコミは一切報道しない
・告訴できる立場にある人は、迷わずに告訴

 暴れても目立てずに、警察沙汰になるだけ。これなら、暴れがいがなくなり、おとなしい成人式となることだろう。

2005年01月08日

意志が弱い!

 昨日、始まったばかりだが、今年を振り返って見て、若干、仕事量が少ないので、今日はしっかり仕事をしよう、と誓ったそばから、だらだらと過ごしてしまった。

 一応、1/11に控えている大切な打ち合わせのための資料作りをきっちりとしたので、まぁ、よしとしよう。

 毎年そうだが、新年のエンジンがかかり始めるのは、やはり1/11からなのだろう、と苦しい自己弁護。

2005年01月07日

運命の日!?

 何とも慌しい1日だった。

 今日は、珍しく、朝11時という午前中に面会が組まれていた。その会社は池尻大橋なので、10時に家を出れば間に合うが、遅刻はできない大切な案件。池尻大橋の喫茶店で時間を潰す覚悟で、iPodと本持参で9時に家を出る。案の定、9時50分には会社の前に着いたので、所在地確認を済ませ、喫茶店を探す。

 先方が10分遅れ、11時10分から50分間の打ち合わせ。将来、そんなこともあったな、くらいの思い出で終わるか、「2005年1月7日に自分の運命が変わった」と思い返すことになるのか、もちろん、今の僕には思いも及ばない。でも、前日の資料揃えも含めて、全力を尽くした。悔いはない。

 帰宅して昼食を済ますと、六本木で一緒にJAZZバーを経営する歳の離れた友人と、僕のマンションの横の喫茶店で、今後のお店の運営方針の打ち合わせ。僕は出資者でもあり、要するにそのお店のオーナーなわけだが、今後も「本業に差しつかえない範囲で」経営協力を約束する。その一環として、そろそろ、自分のホームページに、お店の場所くらいアップしようかと検討に入る。

 夜、今年になって一度も会っていない元女流棋士の林葉直子さんと会う。知り合って2ヶ月だが、初めてマネージャーを紹介してもらった。直子さんは、10日に麻布で開かれるパーティーに誘ってくれたが、友人と会う先約がありお断りする。ちょっと残念。まぁ、また機会があるだろう。

 今年も、早いもので1週間が過ぎた。52分の1が終わったわけだ。この1週間を振り返ると、余暇は充実していたが、仕事量が今一つ物足りない。明日から3連休だが、8日の土曜日は仕事に当てよう。その代わり、11日から立て続けに打ち合わせが入っているので、9日、10日は旧友とプライベートを楽しんで、思いっきり充電しよう。

 また、依頼を受けている執筆の案件も、お受けするもの、お断りするもの、チームを組んで執筆するもの、監修に徹するものなど、そろそろ選別作業に入り、「書初め」をいつにするかを決めなければならない(昨日書いたとおり、すでにエッセイを1本書き上げてあるが)。1月17日の週が今年の「書初め」になりそうな雰囲気。

 今年は、自分がこれまで築いてきたものを大切にしながらも、新しい事にチャレンジする忙しい年になると予感しているが、その予感をひしひしと実感させられた池尻大橋での50分。

 そう言えば、来月、友人がやはり池尻大橋に会社を興す。今年は、渋谷方面に足を運ぶ機会が増えそうだ。

2005年01月06日

この世に雑用などない

 この日、一番大きな仕事は、翌日、某企業にて行う打ち合せの資料作り。もはや、秘書などいない僕は、当たり前だが、コピー(しかもコンビニ、面倒臭い(涙)やホチキスとめもすべて自分でやらなければならない。
 多少慣れたが、フリーになって10ヶ月も経つのに、相変わらず、宛名書きなどのパソコンを使わない仕事は、どうしても好きになれない。

 その後、精神バランスをとるため、パソコンを使った仕事。そう、月1連載のエッセイの執筆にいそしむ。3/24発売のエッセイを1/6に入稿してしまった。編集長も驚いていることだろう。

 夜、旧友から電話がある。昨年、僕が巻き込まれたさまざまなトラブルを、僕がWebで発表しているエッセイや、別の友人から聞いていたらしく、「電話をしたかったけど、気の毒でできなかった」と言ってくれた。

 しかし、電話の最後には、「自由に楽しく、前向きに生きてるお前が羨ましいよ」と、遅ればせながら、僕の再出発を彼なりのことばで激励してくれた。幼なじみはいいものだ。

 この日も、今一つ、仕事にエンジンがかからなかった気がしたが、実は、結構することはしている。ただ、仕事内容が、上述のとおりパソコンを使わない雑用だったからそう感じるのだろう。

 いやいや、この世に「雑用」などありはしない。「雑」にやるから「雑用」なのだ。打ち合わせのために、心を込めてコピーをとって資料を作った。尊い仕事である。

 1件、出版社から返事の来ないメールがある。何とも気にかかるが、週明けまで待って、お返事をいただけなかったら、電話してみることにしよう。

2005年01月05日

仕事始め

 こんな事ではいかん、と思いつつ、起床したのは13:15(^_^;) もっとも、朝7時まで仕事をしていたのでよしとしよう。

 新聞を読んで、自慢のコクーン(HDレコーダー)で「とくダネ!」を見て情報収集。さらに、新聞を読んで、15時にパソコンの電源を入れる。仕事の前に、「とくダネ!」で、デーブ・スペクターが「パリス・ヒルトンなんだから、ハイアットじゃなくてヒルトンを使えばただなのに」と言っていたが、彼お得意の駄洒落かと思っていたので、念のためにネットで調べると、なんと、ヒルトンホテルの本物のご令嬢。パリス・ヒルトンは知っていたが、恥ずかしながらそんなにビッグなセレブとは知らなかった。もう少し、芸能ネタも常日頃から収拾しておく必要性を感じた。

 そこで、まずは、話題のパリスの流出動画を調べてみる。「どうせ、激似かアイコラだろう」と思っていたが、何と、本物だった。本人も自分であることを認めている。あろう事か、世間を騒がすために、自ら流出させたのではないかとまで言われる始末。さらに、胸ポロリの写真、レズビアン疑惑など出るわ出るわ。数百円の雑誌を万引きまでしており、防犯カメラが捕らえたその行為の一部始終が雑誌に掲載されたり、ある意味、世界一ゴシップ好きのご令嬢だろう。

 僕はリンクは貼らないので、彼女が男性や女性とまぐわっている動画を見たい人は、自分で見つけて欲しい。それにしても、流出テープのタイトルが『1 Night in Paris』とは、これは真面目な話、傑作のネーミングだ。フランスの「Paris」をもじった洒落であることは言うまでもない。日本のAV業界もそうだが、この手のビデオのネーミングセンスには、時々、心底感心させられる。

 さて、パリス・ヒルトンの調査を終えると、大切なメールが2件入っていた。1件はメール対応。1件は電話を入れる。片や出版社、しかし、もう片方のメールの送り主は・・・。1月7日の11時にお会いすることになったので、今の時点では、その会社名は伏せておこう。

 昨年、僕は住所が静岡から東京に変わっている。よって、「静岡の大村あつし」と「東京の大村あつし」が別々に源泉徴収されてしまっている。この場合、確定申告のときに、両者が同一人物であることをどのように証明すればいいのかを税務署に問い合わせる。一応、財務、複式簿記には自信がある。だてに8年も会社の社長をやっていない。わからなかったのはこの点だけだ。これで、確定申告はOKだろう。

 プライベートでは、ある私的なたった10名のメーリングリストを立ち上げた。今後、彼ら、彼女らとは、このメーリングリストで情報共有をすることとしよう。

 仕事始めとはこんなものなのか、あまりエンジンがかからない。正味4時間ほどしか仕事はしなかった(しかも、パリス・ヒルトンの調査も含めて(笑)。夜は、コクーンで1月2日に放映された「行列ができる法律相談所」を見る。いよいよ、島田紳助の復帰である。そろそろ、またスタジオに見学に行こうかなと思い立つ。

 その他、雑多な仕事もこなしたが、書き記すほどのものではない。

 1月7日の11時が待ち遠しい。そんな気にさせられた1日だった。

2005年01月04日

年賀状で推し量る肩書き

 東京のマンションに戻って来た。実は、元旦に気にかかった事があった。それは、年賀状の少なさ。今年からフリーになったので、当然、年賀状は減るとは思ったが、あまりに少なかったので、「東京への引越しの挨拶も行き届いていなし、みんな旧住所に送ったのかな。転送されて、4日には東京のマンションに届くだろう」と思っていたのだが・・・

 とにかく少ない。会社の社長をしていた時の2/5だ。考えてみれば、昨年はお歳暮も2つしかなかった。少ないな、と思った。

 要するに、これまで年賀状を下さっていた方々の3/5くらいの方が、「大村あつし」ではなく、「社長」に年賀状を下さっていたのだ。そう考えると、寂しい気もしたが、実は、僕は、昨今の年賀状には疑問を抱いている。

 宛名は印刷。裏面は家族写真。手書きが何もない。これでは、ダイレクトメールと寸分たがわない。心のこもっていない紙切れを50円も出して買ってやり取りをする。お互いに、相手の年賀状の中身など読みやしない。誰も歌を聞いていない、自分の次の歌を夢中で探してるカラオケボックスと同じ状態である。だから、僕は、必ず一筆、手書きを添えるようにしている。

 いつから、年賀状は、新年の挨拶ではなく、家族写真の交換手段になってしまったのだろう。

 この日も、確定申告の準備で過ごす。いよいよ明日は、仕事始め。

2005年01月03日

帰省中で寄生虫

 帰省中だ。黙っていても親が食事の支度をしてくれる。いい年の息子を捕まえて、あれやこれやと世話を焼いてくれる。いくつになって親は親、子は子、ということか。

 こんなに何もしなくていいなんて、寄生虫にでもなった気分だ。

2005年01月02日

帰省

 Uターンラッシュを避けるように、Uターンラッシュとは逆向きに、静岡方面に向かった。帰省するためだ。2泊3日で、1月4日に東京に戻る。

 私的な出来事が多いため、ここに記すのはよそう。

2005年01月01日

今年はいい年になる

 大人になれば時間は速く流れる。その理由を、僕は1月24日発売の日経ソフトウエア誌の巻頭エッセイに書いたので、興味のある方はご一読を。

 時間の流れを遅く感じるための効果的な方法は日記である、という事もそのエッセイに書いたが、書く事よりも、定期的に読み返す事で、1年を長く感じられるそうだ。そこで、今年から、日記代わりにブログを始めてみよう。

 3日坊主で終わるのが怖いが、3日坊主も100回やれば300日、くらいのつもりで頑張ろう。

 ということで、2005年最初の日だ。その瞬間を僕はタクシーの中で迎えた。NHK紅白歌合戦を生観戦し、NHKホールから自宅に向かう途中、タクシーから東京タワーを見ていたら、「2004」のイルミネーションが「2005」に変わった。年が明けた。そう実感した。ワクワクした。そのまま朝まで、寸前まで生で見てきた紅白を録画で見返したり・・・。そして、夕方近くまで眠ると、初詣を済まし、何事も早め早めにやらないと気が済まない僕は、確定申告の準備をして1日を終えた。

 これが、2005年最初の日。

 さて、今年はどんな年になることだろう。きっといい年になる。そう思えてならない。なぜかって? そう思えるような成功イメージしか僕の中にはないから。