災難確率
生きていれば、人間は一定の確率で災難にあう。
先日の、JR西日本の福知山線の事故。
いつもは絶対に乗らないのに、韓国旅行、初めての海外旅行のためにその電車に乗って亡くなった方がいる。
また、息子が「送っていくよ」と言ったのに、「電車のほうが安全だから」と事故に巻き込まれた方がいる。
その一方で、何千回もその電車に乗っているのに、かすり傷一つ負わなかった方もいる。
不幸は、いつ襲ってくるかわからない。
ただ、今回、大怪我をして、一つ、悟ったことがある。
死亡、重体、重傷、骨折、かすり傷。
程度の差こそあれ、こうした災難にあう確率を、自ら高めるほど愚かな事はないということだ。
今回のボクの転倒事故も、床に書類を散らばしていなければ防げた事故だ。
組んでいた左足が痺れてるな、と思ったときに、痺れが取れるまで立ち上がらなければ防げた事故だ。
そう考えると、自分でも無意識のうちに災難確率を下げようと思っていることがあった。
まだ、静岡に住んでいた頃、出張で東京に来ていたボクは、駅のプラットホームで、立ちくらみで前のめりに倒れる人を見た。意識があったため、その人はとっさに両手をついて、まったく事なきを得たが、その手はホームの端、すれすれだった。
要するに、その人が、あと50cm、ホームの外側に立っていたら、その人は線路に転落して大怪我をしていたわけだ。いや、万が一、そのタイミングで電車が来たら・・・
それからボクは、自分では普段は意識していないが、ホームの外側で電車を待たないようにしている。無意識のうちに、災難確率を低めているわけだ。
ボクは、タクシー代の節約のために、先月、スクーターを買った。
実際に東京でスクーターに乗ってみると、やはり怖い。
何が、怖いかと言うと、路上駐車の車が非常に多いのだ。
ボクは、大学生の時に、路駐のトラックを左前に見ながら走っていたら、突然、そのトラックのドアが開いたことがある。
コンマ何秒かの間に、ボクは2つのうちどちらかを選択しなければならなかった。
1つは、そのままトラックのドアにぶつかること。
1つは、意図的に転ぶこと。
当時はヘルメット規制もなくてノーヘルメットだったボクは、
・転んだら頭を打って死ぬかもしれない
・転んだタイミングで後続車が来たら、ひかれて死ぬかもしれない
と、はっきりと「死」を意識しながら、しかし、転ぶことを選択した。
幸い、かすり傷で済んだが、こんなけいけんをしているため、路駐の車の横をスクーターで走り抜けるのは恐怖を感じるのだ。
ちなみに、昨年、1年間で使ったタクシー代は6万円にも満たない。
今年は、目標の1つにタクシーを使わないことを挙げているので、今のペースで行けば、年間3万円程度だろう。
この3万円を節約することと、災難確率を自ら引き上げることと、どちらを選択するか・・・。
ボクは、スクーターを手放すことに決めた。
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