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『私の男』を読みました

『私の男』を読みました。
第138回、直木賞受賞作です。

しかし、文章が上手ですね。
とても、今のボクでは到達できる境地ではありません。

ストーリー自体は、現在から過去へと遡っていくので、もちろん伏線はありますが(伏線がない小説って、多分あまりないと思います)、これといったオチはありません。

一方、ベストセラーになっているのに、賞レースにはひっかりもしない(^_^;)『エブリ リトル シング』は、ハートウォーミングな作品でありながら、伏線、先がまったく読めない展開、そしてオチの三点セットには、僭越ながら、そこそこの自信を持っています。

これは、ミステリーの『無限ループ』も同様です。

ボクは、やっぱり、この着想で勝負していく作家なんだなと、『私の男』の圧倒的な筆力を前に痛感しました。

ただ、『私の男』は実の父と娘の近親相姦の話です。

高校時代には、下半身はつながったまま、馬乗りになった娘が父親の口内に唾液を垂らすなど、相当に濃厚な濡れ場が描かれています。

そして、まだ9歳の娘との近親相姦のシーンで物語りは終わります。

先日、児童ポルノ規正法で、漫画やCGは「直接的な被害者がいない」ということで所有していても罪にはならないと、罰則が見送られましたが、父親が9歳の娘の脚の間を舐め続けるという『私の男』は「芸術」、そして、同じ行為をCGで描いたら、間違いなく「わいせつ」でしょう。

この境界線はどこにあるんでしょうか・・・

昔、「愛のコリーダ」で流行った、「芸術かわいせつか」のキャッチコピーを思い出しました。

コメント

自分は「私の男」をよんでないのでどんな文章なのかはわかりません。

ただ、「うまい!といわれる文章はどう書くか」(能戸清司/KKベストセラーズ)と言う本に次のように書かれていました。

「文章とはつまるところ人間の意思や思想を伝達するための一手段である。手段であるから、伝達すべき内容を、少しも損なうことなく、ありのまま正しく相手に伝えることができれば完璧といえる。
したがって、最高の文章とはいうのは、文章を感じさせずに、筆者のいおうとしている内容がずばりそのまま相手に伝わるようなものであろう。だから逆説的にいえば、『文章がうまいなあ』と文章の存在を感じさせるうちは、まだ最高とはいえないわけだ。
(中略)
読む側に文章というものの存在を感じさせないで、筆者のいわんとする内容だけがじかに伝わって来る。それこそ文章の極致であろう。ライティングの理想もまたこれにつきる。」

そういう意味では、大村さんが読んで文章がうまいとかんじられたのであれば、まだ極致までは達してないってことになるのかもしれませんね。

エブリリトルシングは1も2も言いたいことが素直に伝わっていると思います。

正直にいって、メッセージ性が強すぎて、読む人によっては、必要以上に伝わっているんじゃないかなと思うぐらいです。

能戸清司さんの言葉は含蓄がありますね。

仰るとおり、小説の場合「上手い」と「くどい」は紙一重です。

僕の場合は、くどくなるのが怖いので、「くどいくらいなら下手でもいいや」と割り切って、シンプルな表現を心がけています。

もっとも、これでは、「賞」と名のつくものとは無縁なんでしょうが、正直、あまり賞にはこだわりはありません(^^ゞ