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2007年02月08日

トランプのババ抜きは先攻が有利!?(後編)

先攻:1/6(1巡目)+1/4(2巡目)+1/2(3巡目)=11/12
後攻:1/5(1巡目)+1/3(2巡目)+1/1(3巡目)=23/15

ふむ。
こうして見ても、やはり先攻がババを引く確率の方が小さいですね。
しかし、

「なるほど、ババ抜きは先攻が有利なのか」

と思ったあなた、よーく後攻のババを引く確率を見てください。
「15分の23」では、1より確率が大きくなってしまっています。
言うまでもなく、こんな確率はあり得ません。

すなわち、上の計算式はまったくもって間違いなのです。

では、どこで間違えてしまったのでしょうか?

こうした論理矛盾が発生した理由は、

「自分がカードを引く権利を得る確率を考慮していない」

です。

確かに、後攻は1巡目で5枚のカードから1枚しかないババを引いたら負けです。
この点に関しては確率は「5分の1」です。
しかし、後攻がカードを引くためには、

「先攻がババ以外のカードを引く」

という条件が満たされていなければなりません。

すなわち、この条件を無視した時点で、「5分の1」という数字には何の意味もなくなってしまうのです。

では、「先攻がババ以外のカードを引く」という条件を付け加えた上でもう一度考えてみましょう。

先攻がババ以外のカードを引く確率は「6分の5」です。
さらに、残った5枚のカードからババを引いてしまう確率は「5分の1」。

要するに、後攻が1巡目にババを引いて負ける確率は

「5/6×1/5」

で、先攻と同じく「6分の1」なのです。

これ以上の説明は必要ありませんね。では、正解です。

先攻:1/6(=1巡目)+5/6×4/5×1/4(1/6=2巡目)+5/6×4/5×3/4×2/3×1/2(1/6=3巡目)=3/6=1/2

後攻:5/6×1/5(1/6=1巡目)+5/6×4/5×3/4×1/3(1/6=2巡目)+5/6×4/5×3/4×2/3×1/2×1/1(1/6=3巡目)=3/6=1/2

ということで、ババ抜きで先攻が有利も後攻が不利もありません。
囲碁でもあるまいし、勘で決着が付くような勝負に、どちらが有利もないのはしごく当然のことです。

もし時間があったら、実際に2人で6枚のカードで100回、ババ抜きをしてみてください。

先攻の勝率も後攻の勝率も、50%に近い数字になるはずです。

丁半博打もそうですが、結構、こうした賭け事で、「どちらかが有利」と勘違いしている人は少なくないようですね。

こんな話も、また機会があったら取り上げます!

2007年02月07日

トランプのババ抜きは先攻が有利!?(前編)

先日、このブログで 「ルーレット・パラドックス」 と 「バースデイ・パラドックス」 を取り上げましたが、今回は、結構、多くの人に信じられている

「トランプのババ抜きは先攻が有利」

について検証します。

たとえば、囲碁でしたら、明らかに先攻が有利です。
ですから、「五目半」と言って、先攻は、獲得した陣地のマス目から 5.5 を減算して、不利な後攻との調整を図ります。

では、トランプのババ抜きの場合、先攻と後攻のどちらが有利なのでしょうか?

ここでは、条件は次のとおりとします。

・6枚のカードの中にババが1枚
・2人対戦
・ババを引いた方が負け(当たり前ですね)

さて、最初に先攻がカードを引きます。
このとき、先攻がババを引いて負ける確率は6分の1です。

一方、後攻ですが、先攻が1枚カードを引いた後ですので、カードは5枚しかありません。
したがって、後攻がババを引いて負ける確率は5分の1です。

さて、「6分の1」と「5分の1」では「6分の1」の方が数が小さいですね。
つまり、ババ抜きでは先攻の方がババを引く確率は低く、結果として先攻が有利、ということになります。

ん?
そこのあなた、「フムフム」と納得顔ですね。

ちょ、ちょっと待ってください!

上の説明では、1巡目に2人ともババを引かなかったケースが想定されていません。
ということで、2巡目以降も想定した上で先攻と後攻がそれぞれババを引く確率を求めてみましょう。

先攻:1/6(1巡目)+1/4(2巡目)+1/2(3巡目)=11/12
後攻:1/5(1巡目)+1/3(2巡目)+1/1(3巡目)=23/15

ふむ。
こうして見ても、やはり先攻がババを引く確率の方が小さいですね。

なるほど! やっぱり、ババ抜きは先攻が有利なのか!

後編につづく・・・

2007年01月19日

バースデイ・パラドックス

さて、先日の ルーレット・パラドックス が好評だったので、調子に乗って(笑)、今回は、「バースデイ・パラドックス」のお話です。

あと1週間でクリスマス・イブからはや1ヶ月。1年でもっとも華やかな日からすでに3週間が過ぎた。

ボクは、イブとか元旦とかを迎えるたびに、

「こんな華やかな日やめでたい日に生まれた人が当たり前だけどいるんだよな」

と思う。

ちなみに、目の前の人が12月24日に生まれた確率は365分の1である。
同様に、目の前の人が自分と同じ誕生日である確率も365分の1。

ところが、この誕生日にまつわる面白いパラドックスがある。というか、厳密にはパラドックスではないのだが・・・。

では、40人の集団を仮定しよう。
そして、この集団の中で、

「誰かと誰かが同じ誕生日である確率」

ははたしてどれくらいか。

1年は365日あるので、365分の40ぐらいというのが直感的な数字ではないだろうか。
要するに、40人の集団で「誰かと誰かが同じ誕生日」だなんて、「凄い偶然じゃん」ということになるわけだが、確率論的に言うとそうではない。

以下、簡単に説明しよう。

Aさんの誕生日を任意の1日とする。
すると、BさんがAさんと同じ誕生日でない確率は365分の364。
Cさんが、AさんともBさんとも同じ誕生日でない確率は365分の363。

したがって、40人全員が違う誕生日である確率は、

(364/365)×(363/365)×・・・((365-n+1)/365)

で、nは当然40だが、この計算結果は10.88%となる。

言い換えれば、

「誰かと誰かが同じ誕生日である確率」は何と89%!

要するに、40人の集団ならば、誰かと誰かの誕生日は同じで当たり前なのだ。

にわかには信じられないかもしれないが、確率論的に言うとこうなる。
もしExcelをお持ちなら、早速Excelで計算してみてほしい。
そして、この結果を自分の目で確かめていただきたい。

もっとも、「確率論的には89%」と言われても、やはり「そんな馬鹿な」という気がしないでもない。
だからこそ、この「誰かと誰かが同じ誕生日である確率」のことを「バースデイ・パラドックス」と言うわけだ。

あれは5年ほど前のことだろうか。
ボクの絵本、『クワガタと少年』を、俺の教え子が読んで涙を流していたよと、教師をしている友人が電話をくれた。
そして、「凄い偶然なんだけど、その子と俺、誕生日が同じなんだよね」と言っていた。
確かに、それは「凄い偶然」だ。
365分の1だ。

しかし、その後の一言を聞いて唖然。

「大村、誕生日で思い出したんだけど、俺、教師を15年やっているけど、毎年、クラスの中に同じ誕生日の子がいるんだよ。なあ、大村、俺って凄いと思わない?俺ってひょっとしてグレート?」

かわいそうだが、僕の友人はグレートでも何でもない。
89%の確率でそのようなことが起きうるのだから、逆に、

「15年教師をやっているけど、クラスの中で同じ誕生日の子がいたなんてことは一度もないよ」

と言われたほうがグレートである。

と、一度はそう思ったが、冷静に考えると、やはりその友人はグレートだ。
なぜって?
なぜなら、その友人の職業は「数学の教師」。

40人のクラスで同じ誕生日の教え子がいる確率が極めて高いことを知らずに15年も数学の教師が務まってしまう確率を知りたいものだ。

この現実のほうが奇跡でありパラドックスである。

2007年01月16日

ルーレットで絶対に勝つ方法!(3)

24才の夏。
友達と砂浜で、一生懸命数式を書きながら、

「おい、この方法なら絶対にルーレットに勝つよ。俺達、仕事なんかしなくても大金持ちだよ」

なんて、本気で盛り上がったのですが、水着から洋服に着替えて帰路につく車中、助手席で必死に数式を書いていた友人が言いました。

「おい、大村。さっきの方法だけど、結局期待値は0なんじゃない?」

その走り書きを見て、しばらく考え込んだ僕は、思わず叫びました。

「げ! そうだ! 冷静に考えると確かにそうだ! あんな馬鹿な事を考える暇があったら、もっと波と戯れるべきだった!」

鋭い方はすでにお気づきだと思いますが、では種明かしをしましょう。

僕の方法で勝負をしたときにいくら儲けることができるのか、その平均を考えます。この場合の平均とは、負けることも想定した儲けの平均です。

確率論的に、このようにして算出する平均を「期待値」といいます。

確かに、ひたすら「赤」に賭け続けることによって、1024分の1023の確率で1万円儲けることができます。しかし、1024分の1の確率で1023万円(全財産)損することになりますから、

「1×1023/1024-1023×1/1024」

つまり期待値は「0」になるわけです。

これでは、1023万円すべてを一発勝負した場合でも一緒ですね。

確かに、一回一回の勝負にフォーカスを当てると、この方法だと必ず勝てそうな気がします。
しかし、1023万円を倍にするためには、連続で1023回勝ち続けなければならないのです。
それまでに、一度でも、

「10回連続黒が出続ければ、すなわち1024分の1の確率に当たれば」

終了です。

これが、どれほど現実味のあることかかわかるでしょうか?

たとえば、1024分の1という当たるはずのないような確率の宝くじでも、

「1023回引けば当たるかも」

と思いませんか?

事実、「1024分の1の宝くじ」を1023回引いて、すべて外れる確率は、

「(1023/1024)^1023」

すなわち、およそ37%しかありません。
言い換えれば、63%の確率で当たります。

さて、話を元に戻しますが、二度勝負をしたときの期待値を出してみましょう。

二度とも勝つ確率は「(1023/1024)^2」
二度目で負ける確率は「1023/1024×1/1024」

このとき、一度目で1万円儲けていますから、1022万円損することになります。
そして一度目ですでに負けている確率は「1/1024」ですから、期待値は

「2×(1023/1024)^2-1022×(1023/1024)×(1/1024)-1023×1/1024」

計算するとやっぱり「0」になります。

これは何回やっても同じことで、常に損得の平均は「0」になるのです。
何回やっても儲けも損も計算できない。
これは勝ち負けが平等であることを表していて、すなわち必ず勝てるわけではないということです。

それに、1万円ずつ小銭を稼ぐ(1023万円も持っている人にとっては1万円は小銭でしょう)方法として、これまでご紹介してきた方法は確かに有効なのですが、ボクの方法で勝負していたら、一発でカジノから追い出されます(^_^;)

もしくは、簡単に見破られて、ディーラーは恣意的に、連続10回、「黒」に玉を入れて、身包みはがしにくるでしょう。カジノは、そんなに甘い世界ではありません。

ブラックジャックの必勝法とも言うべき「ナンバーカウンティング」をするだけで追い出されます。

確率が得意な方には当たり前、僕のような数学全般が苦手な方には多少手ごたえのある話だったと思いますが、僕は勝手に、この理論を

「ルーレット・パラドックス」

と名付けています。

ということで、今度は、「バースデイ・パラドックス」のお話をしたいと思います。
これも、目からウロコですよ。

まあ、いずれにせよ、勘だけが頼りの勝負事に、有利も不利もなければ、「絶対」もないことがおわかりいただけたでしょうか。

ということで・・・

「さーて、今日も仕事、仕事」

2007年01月15日

ルーレットで絶対に勝つ方法!(2)

◆前回の概略◆

あなたは、次の2つだけを守る。

(1)ずっと「赤」に賭け続ける
(2)負けたら、次に負けた額の倍のお金を賭ける

すなわち・・・

(A)
勝負スタート。最初にあなたは1万円を賭ける。勝てば、2万円ゲットであなたの儲けは1万円。

(B)
負けたら、(2)のルールに従って、今度は1万円の倍の2万円を賭ける。勝てば4万円ゲット。使ったお金は「1万円+2万円=3万円」で、この場合もあなたの儲けは1万円。

(C)
2回目も負けてしまったら・・・。今度は2万円の倍の4万円を賭ける。勝てばあなたは8万円をゲット。使ったお金は「1万円+2万円+4万円=7万円」で、この場合もあなたの儲けは1万円。
--------------------------------------

注意していただきたいのは、くれぐれも、

「ちょっと負けがこんできたから、次は1万円で様子を見ようか」

なんて絶対に思わないことです。

どんなに負けがこんでも、必ず、その前に賭けたお金の倍のお金を自信を持って賭けてください。だって、あなたが勝つ確率は1024分の1023、99.9%なんですから。

「え? 1023万円も用意して、儲けがたった1万円では少なすぎる?」

おっしゃるとおりです。では、こう考えてはいかがですか?

勝って、1万円を稼いだら、また、1万円からスタートすればいいのです。(A)からもう一度始めるのです。そして、玉が「赤」に来たら(勝ったら)、また(A)からスタートです。

たった1万円でも、これを100回繰り返せば、あなたの儲けは100万円です。ただ、(2)のルールを守りながら「赤」に賭け続けるだけで100万、200万が簡単に儲かってしまうのですから、笑いが止まらないというか、仕事をするのが馬鹿らしくなりますね。

24才の夏。
友達と砂浜で、一生懸命数式を書きながら、

「おい、この方法なら絶対にルーレットに勝つよ。俺達、仕事なんかしなくても大金持ちだよ」

なんて、本気で盛り上がったのですが、水着から洋服に着替えて帰路につく車中、助手席で必死に数式を書いていた友人が言いました。

「おい、大村。さっきの方法だけど・・・」

つづく・・・

2007年01月12日

ルーレットで絶対に勝つ方法!(1)

今日、DVDレコーダーにとりだめた番組を整理していたら、アメリカの大学生がカジノ(ブラックジャック)で5年に渡って6億円も荒稼ぎしていた方法を紹介している番組がありました。
(番組自体は、昨年の夏くらいの古いものです)

そこで、そんなものではない!
ルーレットで絶対に勝つ方法をこのブログをお読みのみなさんだけに伝授します(^o^)

数回の連載になると思います。

さて、あなたは、1023万円を持ってカジノに行きました。
勝負は「黒か赤に賭けて、勝ったら掛け金が2倍になる」という単純なものです。

では、あなたは、次の2つだけを守ってください。

(1)ずっと「赤」に賭け続ける
(2)負けたら、次に負けた額の倍のお金を賭ける

(A)
さて、勝負がスタートです。
最初にあなたは1万円を賭けてください。
勝てば、2万円ゲットしますので、この場合、あなたの儲けは1万円です。

(B)
もし、負けたら、(2)のルールに従って、今度は1万円の倍の2万円を賭けてください。
勝てば4万円はあなたのものです。
そして、使ったお金は

「1万円+2万円=3万円」

ですので、この場合もあなたの儲けは1万円です。

(C)
さて、2回目も負けてしまったら・・・。
今度は2万円の倍の4万円を賭けます。
そして、勝ったらあなたは8万円をゲット。
使ったお金は

「1万円+2万円+4万円=7万円」

ですので、この場合もあなたの儲けは1万円です。

(D)不運にも、3回目も負けてしまったら・・・。
今度は4万円の倍の8万円を賭けましょう。
そして、勝ったあなたは16万円をゲット。
使ったお金は

「1万円+2万円+4万円+8万円=15万円」

ですので、この場合もあなたの儲けは1万円です。

さて、では、あなたの意に反して、「黒」が10回連続出てしまう確率はどれくらいでしょう(1023万円あれば、10回まで勝負できます)。
これは、2の10乗分の1ですから1024分の1です。

つまり、あなたは1024分の1023の確率で1万円をゲットできるというわけです。
勝率、実に99.9%です!

いかがですか?
厳密には「絶対」ではないかもしれませんが、「絶対」と言っても過言ではない超高確率であなたはルーレットに勝ちます。

つづく・・・

2006年09月13日

『作家3.0』宣言!

ボクが上京した理由は、大きく2つありますが、最大の理由は小説家になるためです。

このことを、今まで、公の場で発言したことはありませんでした。

また、その理由として、「実現できなかったら恥ずかしい」という気持ちがあったことも否定しません。

ただ、実現できなければ、それはそれでボクの人生です。
120%努力して夢叶わなくても、何も恥じる必要はありません。

そもそも、「願えば叶う」なんて幻想jに過ぎず、これは「願っても叶わない」人々を排除した偏向思想であり、インチキ自己啓発に過ぎません。

ボクは思います。
人生はコイントスのようなものだと。

当然ですが、まず、そのコインを手に入れなければなりません。
そして、そのために幸運は必要ありませんし、不運が邪魔をすることもありません。
目指している方向性さえ間違えていなければ、持って生まれた素質と努力によって、そのコインは確実に手に入ります。

ちなみに、「方向性が間違えている」とは、部活動でレギュラーになれなかったような人がプロ野球選手を目指しているような状態を指します。
このような人が、コイントス以前に、そのコインさえ手に入れることができないのは自明の理です。

しかし、世の中に数ある職業の中で、8割、時には9分9厘、「運」という偶発的な要因に左右されるものがあります。
その最たるものは、やはり芸能人でしょうか。

世界的なアクションスターのジャッキー・チェンが、自著、『愛してポーポー』や雑誌インタビューの中で読者に対して言っています。

「もし、君が芸能界を目指すのなら、ボクはタックルしてでも阻止する。
どれほどの実力があっても、『運』がなければ成功できない世界だからだ。

実際、ボクよりも演技の上手い人はたくさんいる。
ボクよりもカンフーが強い人もたくさんいる。
ボクよりもハンサムな人はたくさんいすぎてわけがわからない。

もちろん、自分なりに努力はした。
カンフーの凄さを全面に押し出してもブルース・リーにはかなわない。
だから、ボクはバランスを重視した。
さらに、チャップリンやバスター・キートンを徹底的に研究して、笑いや涙、そして、命がけのアクションを盛り込み、一秒たりとも退屈しない映画作りを徹底してきた。

そうすれば、ハリウッドが認めてくれると信じていたが、認めてもらうまでに20年もかかった。
アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、世界中が認めてくれても、アメリカだけはボクを受け入れようとはしなかった。

そして、受け入れてもらえた今、それをボクの実力によるものとか必然とか思ってはいない。
最大の理由は『幸運』だったことだ」

かくも、芸能人は運・不運に左右される職業ですが、小説家も同様だと思います。

素晴らしい才能を持ちながら世に出られない人、日の目を見ない素晴らしい作品はごまんとあります。
一方で、棚ボタでデビューできてしまう作家もいます。

とりあえず、ボクは「コイン」は持っていると自負しています。
独りよがりではなく、決してお世辞など言わない友人、知人の誰が読んでも、8割がボクの作品に高い評価を下してくれます。
もっとも、100分の1秒を競うスポーツではありませんので、「面白い」「つまらない」「感動した」「話が美しすぎ」など、読んだ人の主観で意見は分かれますが、ボクの実力そのモノを否定されたことはありません。

あとは、このコインを10回投げて、そのすべての表裏を当てることができるかどうか。
要するに、自分に幸運が訪れるかどうかだと思います。

感覚的な話ですが、東京でいわゆる「成功者」と言われる人は1万人くらいかな、と感じています。
何億という資産家、芸能人のような著名人、権力を持った政治家、名声を得ている学者などを合計すると1万人くらいではないかと感じます。

ただ、「1万人もいる」と思うのは、上述の「願えば叶う」という偏向インチキ自己啓発に騙されているに同義です。
東京には1,000万人がいるのです。
そして、1,000万人の誰もが自分も成功したいと願っているのです。

コイントスの表裏。
10回、すべて当てる確率は1,024分の1です。

そうです。
「成功者」と言われる1万人は、コイントスの表裏を10回、すべて当てることのできた人たちなのです。
実力だけで成しえたことではありません。
すべてを当てることのできなかった残りの999万人がいることを忘れてはいけないと感じます。

さて、核心に入りますが、ボクは、「成功」とは「人生に満足すること」だと思っています。
これは、自著の『人生は数式で考えるとうまくいく』にも書きました。

幸い、大好きなIT書籍で10年もトップ集団の中で走り続けて来られて、今後も、まだまだ走れそうな自分やその人生には確かに満足しています。

ちなみに、このIT書籍は、今風に言えば「書籍1.0」です。

補足しますと、現在、「Web2.0」なることば、概念が生まれています。
これは、元来は、アマゾンのように、APIをSDKで配布し、WindowsのようなOSではなく、Webをプラットフォームに開発環境を提供しているようなサイトを指すことばでした。
(専門的な話ですみません(^_^;)

しかし、現在は、検索したり買い物したり、といった、受動型のサイトを「Web1.0」と呼び、自分で動画をアップロードしたり、自分を基点に友人をコネクトしていったりなどの能動型のサイトは「Web2.0」と呼ばれます。

具体的な例を挙げると、一方的に用意された動画を見ることしかできない「Gyao」は「Web1.0」、視聴者参加型の「You Tube」が「Web2.0」にあたります。
もしくは、ホームページビルダーなどで自分でホームページを作成して書かれた日記は「Web1.0」、ブログのように、すでに場所が提供されていて、自分はブラウザ上で書くだけでよい。しかも、読者は読むだけでなくコメントをつけるなど、その場に参加することができる。こんな仕組みは「Web2.0」ですね。

蛇足ですが、正直、こんな無茶苦茶な定義で乱用していたら、昔の「マルチメディア」のように、「Web2.0」ということばはいずれ衰退することでしょう。

さて、IT書籍のようなビジネス書、実用書は、読んでいただいて、知識や技術を習得していただくことが目的です。その書籍をプラットフォームに、次なる展開があるわけではありません。
すなわち、「書籍1.0」なのです。
ということは、それを書いている作家は、「作家1.0」と命名してもよいでしょう。

一方、小説の場合は、それを元に映像化されたり、コミック化されたり、それをイメージした楽曲が作曲されたり、時にゲーム化されることもあります。
すなわち、それをプラットフォームにさまざまなビジネスが派生する可能性を秘めているのです。

ここまでご説明すれば、ボクが言いたいことがクリアになったと思います。
そうです。
小説というのは「書籍2.0」なのです。
ということは、それを書く人は「作家2.0」なのです。

正直、小説の売り込みは恐ろしく難しいです。
ビジネス書であれば、企画書だけでいいものになるかどうかの判断がつきます。
しかし、小説は、良し悪しを判断するためには、何時間もかけて読まなければなりません。
編集者は、みなさん、自分が担当の作家がいて、彼ら彼女らの原稿を読むだけで手一杯です。
そこに、割り込みで原稿用紙数百枚もあるようなものを編集者に読んだいただくのがどれほど大変なことか、みなさまも想像に難くないと思います。

ましてや、それをなんとか発売に漕ぎ着けて、しかも、それがベストセラーになるなど、それこそコイントスの表裏を10回、すべて当てるようなものです。

ただ、ボクはベストセラーなんて夢のようなことは考えていません。
まずは、とにもかくにも、1冊、世に出したい。
そして、1冊世に出たら、2冊目を書きたい。
これを目標にしたいと思います。

ベストセラーを狙うなら、「書籍2.0」より「書籍1.0」のほうが断然、分があります。
小説は、確かに、時として人生を変えるような出会いになることもありますが、棺おけにまで持っていきたいと思うような小説はそうそうあるものではありません。
でも、一時、すべてを忘れてのめり込める。
読後も感動に浸れる。
それが小説の醍醐味ですが、娯楽が多様化した現在、別に小説でなくても楽しむ術はいくらでもあります。

ただ、ビジネス書であれば、直接的に自分の血肉になりますので、こちらの方が消費者の財布の紐は緩みます。
実際、『東京タワー』や『佐賀のがばいばあちゃん』などは、厳密には小説ではなく自伝エッセイであり、純粋な小説としてのミリオンセラーは、この数年生まれていない気がします。
「セカチュー」と「いま会い」でピークを迎えた感があります。

こうしたことを冷静に分析すれば、小説は、売れる、売れないは二の次で、1冊出すごとに、いかにファンを獲得していくか、という商売なのだと思います。

いずれにしましても、ボクは「作家2.0」を目指します。
もっとも、やはり自分にとっては天職だと思っていますので、もちろん、今後もIT書籍は書きます。

バージョンの違いは優劣を意味するものではありません。
1.0と2.0では、最初から存在意義が違うだけで、どちらも等しく尊いものだと思っています。

ということは、厳密には、小説も書いて(作家2.0)、IT書籍も書く(作家1.0)のですから、「作家2.0」というよりも、「2+1」で「作家3.0」を目指す、と宣言するべきかもしれませんね。

ただ、現時点で小説の発刊のあてはなにもありません。
持ち込みに応じてくださるような編集者とめぐり会えるか、はたまた、砂漠に水を撒くがごとくの難関を突破して新人賞でも受賞できるか、もう、こうなるとコイントスの世界ですが、それでもチャレンジします。

もし、幸運にも小説を世に出せたら、そのときは、日本で初めて「作家2.0」、そして「作家3.0」の肩書きを名乗った、このブログがその証拠になると思い、冒険ではありますが、「作家3.0」宣言をすることにしました。

01

2006年08月04日

ご心配なく(^o^)

昨日のブログ、『ミミズ』

アップしたら、すぐに4通も心配のメールが届いたので、慌てて非公開にしたのですが、どれほど格好をつけても、今のボクが昨日のブログに書いたような状況であることに変わりはありません。

そこで、昨日のブログを、再度、アップしました。

人間、「どうしたら楽ができるか」を考えながら生きる人生もありますが、そうした人生で得られるのは「楽しみ」だけだと思います。

「楽しみ」には持続性がありません。

「いやー、月曜日の朝飯はうまかったなー」、なんて金曜日に喜んでいる人を見たことがありますか?
「いやー、3年前のあのカラオケが頭から離れないよ」なんて人を見たことがありますか?

なぜ、「楽しみ」には持続性がないのか。
理由は簡単です。
そこには、それを手に入れるための「努力」「苦痛」が伴わないからです。
お金さえ払えば簡単に手に入ります。
だから、その感動も一瞬なのです。

もちろん、「楽しむ」ことは、人生で絶対に必要です。
たとえば、ボクは、明日は六本木に遊びに行きます。
「楽しみ」を手に入れるためです。

でも、「喜び」は違います。
これは、努力した者、苦痛を舐めた者だけがハードルを乗り越えた時に得られる最高のご褒美です。
その代わりに、簡単に手には入りません。
いや、手に入れる事ができずに破れて去っていく人もいます。

ボクも、「もう、よそう」「もう諦めよう」と思ったことは5回、10回じゃありません。

でも、まだ干からびていません。
確かに枯渇の兆候は見られますが、まだまだ、心には栄養が残っています。

そして、それがある限り、どんなに無様な姿を見せようとも、灼熱のアスファルトの上でのたうち回ろうと思います。

2006年06月27日

時給、数千円の命

「時給100万円」のカリスマ美人形成外科医の愛娘が誘拐されて、無事に保護されたそうですね。

「ですね」としかいえないのは、マスコミの報道姿勢が極めて不愉快で、ほとんど見ていないからです。

恐怖体験による後遺症が心配されますが、無事に助かったのは何よりです。

それよりも、「時給100万円」「時給100万円」って、マスコミ、おかしくないですか?

その「時給100万円」のカリスマ(かどうか知りませんが)美人(かどうか知りませんが)形成外科医の愛娘の救出に際して、犯人が発砲した弾丸が警察の頭をかすっているんですよ。
数センチずれていたら死んでいたんですよ。

被害者を無傷で助け犯人を逮捕した、「時給、数千円」の警察官の勇気ある行動。
名前もその後の病状も報じないのはなぜですか?>マスコミ

今後、豊胸手術を受ける予定のない(笑)ボクとしては、「時給、数千円」の警察官を、ただただ称えたいと思います。

この偏った報道で、ニュースをまったく見ていないこの数日ですが、大学生による生き埋めという悲惨な事件もあったそうですね。

しかし
東大阪大学って・・・
東大と阪大を足して2で割ったような凄い大学なんでしょうか(苦笑)
しかも、「こども学部、こども学科」って(^_^;)
何を教えてるんでしょう?

そう言えば、変わった大学名と言えば・・・
昔、テレビのテロップを見ていて、

「げんきぞう大学? また、おかしな名前を付けるもんだな」

と思ったら、「元気象大学(もと きしょう大学)」でした(笑)
こちらは、読めなかったボクがバカですね・・・(^_^;)

2006年05月09日

世界が喪に服した日 - アイルトン・セナの死 -

ボクの人生に多大な影響を与えた人はたくさんいますが、その中の一人が、F1ドライバーのアイルトン・セナでした。

ボクは、セナさえ幸せなら、自分はどれほど不幸でもいい、とさえ思っていたくらいです。

セナがレースに勝てば、次のレースまでの2週間は幸せでした。
セナがレースに負ければ、次のレースまでの2週間、「プロストがリタイアさえしていれば・・・」と唇を噛み締めていました。

しかし、その音速の貴公子、セナが神になって、もう12年が過ぎました。

27才のとき、いつものとおり、F1を見るために、深夜、フジテレビにチャンネルを合わせました。
その前の2つのレースをリタイアで落としていたセナは、ミヒャエル・シューマッハを追い上げるためには絶対に負けられないレース。

サンマリノ、イモラサーキット。

しかし、セナは、300Km/hの高速でタンブレロ・コーナーに突っ込み、そのまま神になりました。

ショックのあまり、涙も出ません。

2週間、茫然自失の状態が続きましたが、ある人に、「34才で死んだことに意味はない。つまらない人生を100年送るよりも、セナは誰よりも数万倍充実した人生を34年間も生きられたんだ。それなのに、お前が落ち込んでいてどうする」と励まされ、そのときから、ボクの人生は大きく変わる事になります。

セナのように、ブラジルが3日間も喪に服し、公官庁や学校は3日間お休み。
セナの棺が通る沿道には数百万人の人々。

そんなスーパースターにはもちろんなれるはずもないのですが、「ドでかい事をしてやる!」と誓った27才のボク。

このセナの死がなければ、ボクはITライターにはなっていませんでした。

ちなみに、一番の被害者はシューマッハなのかもしれません。

人類史上最強のF1ドライバーだったアイルトン・セナ。
そのセナを破ってこそのチャンピオン。
シューマッハがどれほど勝利を積み重ねても、世界が高い評価を与えないのもやむをえないでしょう。

ライバル不在で、シューマッハ一人、異次元走行をしているのですから。
高校野球の中に、一人だけメジャーリーガーがいるようなもので、これなら勝てて当たり前。
面白くもなんともありません。

ジョン・レノンが生きていたら、もう一度ビートルズが見たかった。

同様に、セナとシューマッハのガチンコ対決を見たかったですね。

そして、セナこそがチャンピオンであることを証明して欲しかった・・・

また、一番強くそう願っているのは、もしかしたら、「セナはボクのアイドルなんだ」と語ってやまないシューマッハなのかもしれません。

では、本日は、久しぶりに動画をお届けします。

12年前のあの日、突然飛び込んできた、セナの死を伝える生放送。

今、思い出しても体が震え、涙が止まらない、その貴重な映像をお届けします。

2006年05月08日

帰省

GWに帰省できなかったので、本日、帰省しました。
明日には東京に戻ってきます。

今日は、家族でしゃぶをやり、じゃなくて(^_^;)、しゃぶしゃぶを食べて、その後、友人達と一杯飲みながら旧交を温めました。

酔った時というのは、大抵、下品な話に振れるか、極めて大真面目に議論を交わすパターンがみなさんも多いと思いますが、今回は、最初は前者でしたが、途中からは後者。

今の学校教育を語っているうちに、

「日本って100年後も残っているかな?」
「いや、アメリカの51番目の州になってるんじゃないの?」
「いや、アメリカが救ってくれれば儲け物。中国の一部になっているでしょう」

と悲観的な意見に終始しました。

なぜ、こんな話になったのか、それは、今の学校教育の話から、今の子ども、そして彼らが大人になって子どもができて、その子どもが大人になったら・・・という話から、そんな話になったのです。

資源も何もない敗戦国の日本の復興を支えたのは3つしかありましません。

愛国心
高度な教育(後々の高度な技術力)
勤勉

この3つを失ったら、本当に、日本はどこかの属国になるでしょう。

今では、学校の先生にタメ口をきくのも、「子どもの個性」として尊重する傾向にあるそうです。

先生が言ったことに、「マジ?やだよ!」と言った子どもに、「本当ですか?ボクはいやです」と言いなおしなさいと注意した先生が、逆に、教育委員会から、「フレンドリーな物言いをするのがその子の個性だ。それを殺すな」と注意されて、バカらしくなって教師を辞めた人がいるそうです。

それもそうでしょう。
私なら、迷わずに、やめます。

ゆとり教育で、勉学に追いつけない子ども個性を尊重するあまりに、全体的な教育水準が落ちて、挙句に、この世に生まれて、初めて接する目上の存在である先生を尊敬する必要もなくなり、昆虫採集も禁止されて「死の概念」を学ぶ機会を逸し、まだ力のないうち(殴っても怪我をしない)に喧嘩をすることなく、殴られる痛みも知らずに大人になって、勤勉も愛国心も失われる。

アメリカの、「日本属国計画」は順調に進んでいますね。

なんともやりきれない話です。

2005年12月25日

知恵力を付けたい!

ボクは、人生において成功する秘訣は「知識」ではなく「知恵」だと思っています。

このことは、『人生は数式で考えるとうまくいく』でも書きましたが、ギターの本を読んでもギターが上手になるわけではありません。そこでインプットした「知識」に練習、すなわち「体験」をつまなければ上達はしません。

これは、人生も仕事も同じだと思っています。

と、つい先日、面白い話を聞きました。

数年前に超能力者のユリゲラーが、「ポケットモンスター」というゲームのポケモン「ユンゲラー」に自分のイメージを盗用されたとして、任天堂に約100億円の損害賠償を求める裁判を起こしたことは知っていましたが、正直、あまり興味はなかったので、その後の顛末も知りませんでした。

ところが、この裁判の任天堂側の弁護士が洒落ています。

「ユンゲラーは超能力でスプーンを曲げることができます。もし、あなたがこのキャラが自分の盗用だと主張するなら、今ここで超能力でスプーンを曲げてください」

そう言われたユリゲラーは打つ手なし・・・(笑)

六法全書を丸暗記しただけの弁護士に言えるセリフではありませんね。
相当な「経験」を積んだ、「知恵」のある弁護士だと感心してしまいました。

自分も、もっともっと「知恵」を付けたい。
そう思った瞬間でした。

特に、テレビはとっさにどれだけ洒落たことが言えるかで、相手の反応や現場のスタッフの反応、最終的にはお茶の間の反応が変わるメディアですので、「知恵を付けたい」ではなくて、「知恵を付ける」を自分の課題に、来年も頑張りたいと思います。

(って、こんなことを書くと、このブログも今年はこれで終わりのようですが、終わりかもしれませんし、ネタがあればまだ書くかもしれません(^^ゞ

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「IT その扉の向こうに」 1月11日水曜日 夜7:00~8:30
tvk神奈川  東京MX  ちばテレビ  テレビ埼玉

ITが導く近未来の暮らしとは?     ナビゲーター:大村あつし

2005年12月03日

台本の暗記とマッサージ

今日は、休日返上でテレビ番組の台本の暗記。

「さしすせそ」の発音の難しさを改めて実感。

もっとも、ボクはアナウンサーでも役者でもないので、背伸びするのはやめました。

深夜、すごく久しぶりに新橋のマッサージ店へ。
ここでちょっとした事件が起きました。

マッサージをしてくれていた中国人女性の力が急に抜けたかと思ったら、ついには揉むのをやめてしまったのです。
うつ伏せだったボクが「どうしたのかな?」と思って身を起こしてみると・・・

なんと、その女性が居眠りをしていました。
本来なら、その女性は叱られても言い訳のできない状況なのですが、とりあえず、肩を揺すって起こしました。

平身低頭、詫びる彼女。

そこで、「疲れてるんですか? 昼は何をしているんですか?」と聞くと・・・

月~金の午前中は日本語の専門学校に通っているそうです。
そして、午後から翌朝までマッサージのバイト。
睡眠は、客のいない時間を見計らっての仮眠のみ。
家はなく、そこのマッサージ店に寝泊りしているそうです。

これでは、仕事中に眠くなるのも当然ですね。

以前は、川崎に住んで、居酒屋のバイトをしながら学費を貯めて、2年前からそこのマッサージ店を根城に浅草の日本語の専門学校へ。
来春4月に卒業して、今度は某大学で4年間、貿易や経済学の勉強をして、中国に帰国したら日系の一流企業に勤めるのが夢だそうです。

もう、日本語はまったく問題ないレベル。
その上、4年間大学で学べば、帰国した後、大きな成功が待っていることでしょう。

そうなんです。
今の彼女の苦労は並大抵のものではないことは想像に難くありませんが、彼女の目に映っているのは、その先にある成功なのです。
だから、彼女はそれほどの過酷な試練に耐えられるんですね。

大いに感激し、マッサージよりも、彼女と話ができた事が嬉しかった夜でした。

現在の苦しみは、将来、目標を達成したときに得ることのできる喜びのための一時的な借金に過ぎない

僭越ながら、拙書、『人生は数式で考えるとうまくいく』の1フレーズです。

4年後に、彼女はこの一時的な借金は完済し、大きな喜びとともに人生を謳歌していることでしょう。

何か、こちらまでパワーをもらった気分になりました(^o^)

2005年10月21日

遠くの山を見つめる

2000年、オリックスのイチローは、.387という日本野球史に残る高打率を記録しました。

ちなみに、歴代一位は1986年のバースの.389。

実は、イチローは2試合を残した時点で、バースの打率を上回っていました。

多くの人が、「このまま欠場して、歴代最高打率を残せばいい」と考えていました。

それも当然で、2000年のイチローの2試合を残した時点での安打数は彼にしては少ない153安打。

すでに、210本の日本最高安打記録は持っているのだから、この際、安打数などどうでもいい。
打率でも日本最高記録を作ってしまえばいい。
誰もがそう思いました。

ところが、イチローは欠場することなくバッターボックスに立ち続けたのです。

結果は、2試合無安打。
最終打率はバースを下回りました。

当時のイチローのコメント。

「最高打率に興味はなかった。
1回でも多く打席に立ちたかった。
1本でも多くヒットを打ちたかった」

これには、多くの人が首を傾げました。

しかし、その直後、イチローのマリナーズへの電撃移籍が決定し、私たちは彼のコメントの意味を理解させられることになります。

要するに、すでに、イチローの頭の中にはメジャーリーグしかなかったのです。

そして、メジャーで通用する打者になるためには、欠場するよりも、1試合でも多く試合に出て、1本でも多くヒットを打つことのほうが肝要だと彼は考えていたのです。

イチローが見つめていたのは、

「メジャーリーグ最強の一番打者」

という大きな目標でした。

さて、これは、私の個人的な意見ですが、目標は大きければいい、というものではないと思います。

最近は、どんな大きな目標も叶う、ということを訴える本も少なくありませんが、本当にそうでしょうか?

では、なぜ、私は、巨人に入団して王貞治のホームラン記録を塗り替えられなかったのでしょうか?
子どものときは、本気で、この「目標」を持っていました。

理由は簡単です。

子どもの私が掲げたのは「目標」ではなく「夢」だからです。

目標は、その大きさではありません。

その色の濃さで、実現できるかどうかが決まると思います。

大切なことは、大目標を掲げ、それを実現するための中目標、さらには小目標を掲げる。

言い換えれば、長期目標を掲げ、それを実現するための中期目標、さらには短期目標を掲げる。

すなわち、人生は割り算なのです。

そして、大目標たる長期目標を常にイメージする。

私のような弱い人間は、正直、中期や短期の目標は実現できないことも少なくありません。

また、目移りしてしまうこともあります。

でも、そうした寄り道をしてもいいのだと思っています。

大切なことは、遠くに大目標を置いておけば、たとえその道筋はくねっていても、やがては必ずそこにたどり着けるということです。

イチローは確かに、歴代一位の打率は残せませんでした。
しかし、遠くに見える山に近付くために、試合を欠場することなくバッターボックスに立った。

私は、無安打に終わったこの2試合が、翌年のイチローのメジャーリーグでの大活躍、首位打者と盗塁王、そして新人王と無関係とは思えないのです。

高い山を見つめて、その方向に歩いて行けば、途中で道に迷うことはありません。
少々の試練があっても、失敗があっても、いつかは必ずたどり着けます。

私は、人生もこれと同じだと思っています。

そして、このことに気付いていれば・・・

 - 私たちの人生は負けないようにできています! -

2005年09月23日

振れ幅 = 初期値 + 最終値

10年も前の話になりますが、私の女友達が恋人からひどい暴力を受けていました。

私も含め、多くの友人が「別れたら」と言ったのですが、彼女はいつも・・・

「でも、優しいところもあるから」

突然、何の話を始めるのかと思うかもしれませんが、実は、この話には大切な真理が隠されています。

人間には「快」と「不快」という感情があります。
同様に、「喜」と「哀」という感情もあります。
すなわち、「光」と「陰」です。

さて、ここに優しい人がいます。
いつも、「70」の優しさで恋人や友人に接しています。

しかし、悲しいことに、私たち人間は「慣れ」の動物です。
ですから、いつの間にか、その「70」が当たり前になってしまいます。

これは、逆もまた真なりです。

ここに、この針が「不快」「哀」「陰」の方向にいつも「-100」を示している人がいるとします。
当然、そのような接し方をされると、私たちは不快になります。
哀しくなります。
ところが、「慣れ」の恐ろしさで、この「-100」もやがては当たり前になってしまうのです。

いえ、本当に恐ろしいのはここからです。

もし、この「-100」の人に「10」優しくされたらどうでしょう。
「-100」だった感情が、一気に「10」に振れますので、その振れ幅は「110」です。

すると、その人がとてつもなく優しい人に見えてしまうのです。
暴力男から逃げられない女性の心理は、まさしく、この振れ幅の「錯覚」にあります。

いつも怒っている人がちょっと優しくすると

「あの人は性根は優しいんだよ」

となります。

逆に、いつも優しい人がちょっと怒ると

「あの人は性根は短気なんじゃない?」

となります。

どちらも、振れ幅の「錯覚」に惑わされています。

大切なのは振れ幅ではありません。
あくまでも、日常的、恒常的な数値です。

「110」プラスの方向に振れても、初期値が「-100」なら、その人の優しさは「10」に過ぎないのです。

いつも「70」の優しさを持った人でも、時に、「-10」の怒りを表すこともあるでしょう。
しかし、このときの「-80」の振れ幅に意味はありません。
大切なことは、その人は「-10」しか怒っていないということです。

振れ幅 = 初期値 + 最終値

もしくは

振れ幅 = 初期値 - 最終値

しかし、人間の評価は「振れ幅」ではなく、あくまでも「初期値」もしくは「最終値」です。

このことに気付いていれば・・・

 - 私たちの人生は負けないようにできています! -

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ちょうど10年前に、550万部という驚愕のセールスを記録した『脳内革命』
この『脳内革命』の編集者が、現在は社長となり、ひょんなことから、私が4年間書き溜めたエッセイを読んでくださいました。

社長は私に一言。

「大村さんのエッセイは心に響く。涙が出そうになる」

そして、同席していた社員に一言

「○○さん、大村さんに一冊書いていただきましょう」

社長の退席後に○○さんは言いました。

「弊社の社長が持ち込み原稿に反応するなんて、何年に一度もありませんよ」

そして、このたび完成した本が・・・

『人生は数式で考えるとうまくいく』(サンマーク出版)

10月に発売予定です。

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2005年09月20日

タイムパフォーマンス

「コストパフォーマンス」

これについては説明するまでもありませんね。
企業において、いえ、人生においても、重視すべきは「コスト」ではなく「コストパフォーマンス」です。

すなわち、投下した「コスト」に対して、どれだけの「リターン」が得られるかですね。

しかし、私は、それよりもはるかに重要な「パフォーマンス」があると思っています。

それが「タイムパフォーマンス」です。

あるお笑いコンビのコント。

A:「俺、電車代浮かすために、5時間歩いて帰ったぜ!」
B:「バカか、お前。それなら、3時間働いて、1時間で電車で帰って残りの1時間で遊べ!」

私は、このコントは秀逸だと思いました。
なぜなら、3時間の労働で1時間の「余暇」を生み出すことに成功しているからです。

これが、「タイムパフォーマンス」です。

「タイムパフォーマンス」の重要性に気付いていないボケ役と、それに気付いているツッコミ役。

すなわち、このコントで笑える人は、実は潜在意識で「タイムパフォーマンス」の重要性を理解しているのです。

「コストパフォーマンス」は確かに重要です。
しかし、それ以上に重要なのが「タイムパフォーマンス」ではないでしょうか。

このことに気付いていれば・・・

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2005年09月18日

鈴木宗男に心打たれて

国政復帰した鈴木宗男の顔が違う。

「疑惑の総合商社」と(言う資格は自分もなかったわけだが)辻元清美に国会でののしられていた頃と、明らかに顔が違う。

とにかく優しいのだ。
絶やさぬ笑顔に癒される。

よく考えていただきたい。

収監され、裁判で有罪判決、その後の胃がん。
現在控訴中だが、有罪が確定したら、再び代議士の座を失う可能性もある。
胃がんだって、あと5年は再発の心配をしなければならないだろう。

笑える要素などどこにもない。
しかし、彼は笑顔を絶やさない。

恐らく彼は、再び代議士の座を失うことなど微塵も考えていないのだろう。
ガンが再発するなんて頭の片隅にもないに違いない。

最近、プラス思考を否定する方が増えているが、あの鈴木宗男の笑顔を見て、それでもプラス思考を否定できるのだろうか。

「当選したって、どうせ、有罪になればまた失職さ」と斜に構えた顔や、「もしかしたらガンが再発するのでは」と暗く沈んだ顔のほうがいいのか?
結論は考えるまでもないのではないだろうか。

ボクも、一時期、よく衆議院議員会館に足を運んだが、鈴木宗男の部屋は誰も使おうとせずに、公明党の控え室になっていた。

理由は・・・
「縁起が悪いから」

そのことを意地悪なマスコミに質問されても、「じゃあ、ボクがここに戻って来てよかったじゃないですか」と笑顔を作る。

よく怒らないものだと感心した。
人間は、いくつになっても変われるのだと感動した。

他人と過去は変えられない。しかし、自分と未来は変えられる。

それが真実であることを、鈴木宗男の笑顔が教えてくれた。

2005年09月06日

メルマガ、こんな感じです

今日も、銀行にお金をおろしに行ったり、コンビニにお弁当を買いに行ったり、程度の外出で、終日、執筆。

その他、メール対応やメルマガの発行。

そうそう。
ちなみに、メルマガ『人生、気付くが勝ち!』は、こんな感じの内容になっています。
最新号のバックナンバーをご覧ください。

<以下、メルマガより抜粋>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■鬼ごっこ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 想像してみてください。

 ビシッとスーツを着て毎日、パソコンに向かって原価計算をしているジョン・レノン。

 取引先で、「社長、ぜひとも弊社の商品を。勉強させていただきますので」ともみ手をしているポール・マッカートニー。

 かたや、ギターを弾きながらシャウトするビル・ゲイツ。

 はたして、ジョンやポールは優秀なビジネスマンになれたでしょうか?
 また、失礼ながら、ビル・ゲイツの歌を聴きたいとも思いません。

 しかし、彼らは全員、歴史に名を残しました。

 彼らのケースでは、成功を掴んだ理由は明確です。
 「好き」だったからです。
 もっと言えば「得意」だったからです。

 私のように、「好き」はたくさんあっても、「得意」がほとんどない人間は、「好き」と「得意」の輪の重なりを持っているのにそれで勝負しないかたを見ると、何とももったいないと感じてしまいます。

 いえ、私にも一つだけ輪の重なりがありました。
 IT書籍です。

 「書く」ことは「好き」です。
 「IT」は「得意」です。

 結果として、私はミリオンセラーライターになることができました。

 決して自慢話ではなく、人生の岐路に立ったとき、「儲かりそう」とか「ラクそう」ではなく、「好き」か「得意」かで判断すれば、誰でもこれくらいの成功は約束されているように思えてならないのです。

 本日は、非常に気恥ずかしいのですが、詩というかどどいつというか、相田みつをになった気分で、ある文章を考えてみました(笑)

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 鬼ごっこ

 目立たぬ子 沈んでいる子を 見かけたら
 鬼ごっこに誘ってみよう

 きっとその子が鬼になる?
 それではその子がかわいそう?

 でも そうなればしめたもの
 鬼ごっこの主役は鬼だもの

 楽しそうだね! 
 輝いてるね!

 詠み人 大村あつし(笑)
--------------------------------------------------

 自分が輝いていないなと感じたとき、それは、自分の能力が原因なのではなく、自分を取り巻く環境に、個性を殺されてしまっているのではないでしょうか?

 ジョンやポールはロックシンガーになって輝きました。
 ビル・ゲイツは経営者として輝きました。

 私たちの輝きを奪うものは果たして何でしょう?
 私たちが輝けるのはどんなときでしょう?

 目立たない子だからこそ、鬼ごっこでは主役になれる。

 だからこそ、私は自信を持って言えます。

 - 私たちの人生は負けないようにできています! -


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2005年08月24日

花田勝さんとの・・・

今話題の「Chanko Dining 若」に行った。

テーブルの上には、若乃花(花田勝さん)の手形がプリントされた紙が置かれている。

紙に何が書かれていたかはあまり覚えていないが、驚いたのはその手形である
(「ちゃんこ」とは「あらゆる食事」を意味します、みたいなことが
書かれていたような・・・)。

なぜ驚いたのか?
小さいのだ。
とにかくその手は小さいのだ。

ボクも「大人の世界」に生きている。
しかるに、綺麗ごとは言わない。
相撲に「ショービジネス」的な要素があることもわかっているつもりだ。

しかし、それを割り引いても、「あの手」で横綱に上り詰めるなんて・・・。

若乃花が、どれほどの努力を重ねたのか、言葉など要らない。
あの手形を見れば一目瞭然だ。

「ボクも頑張らないとな」

そんなことを思いながら、一番人気の「塩ちゃんこ」を口に運んでいた。

すると、背後から声が・・・

「お食事中にすみません」

振り返ると、そこには花田勝さん本人が、一席一席、挨拶をするために立っていた。

「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」

そう挨拶されたボクは、思わず椅子から立ち上がって、

「すごく美味しいです! 頑張ってください!」

と、思わず手を差し出した。

彼は、くしゃくしゃの笑顔を作ってお辞儀をすると、「大きな偉業」を成し遂げたその「小さな手」で、何の偉業もないボクの「大きな手」を握り締めてくれた。

2005年08月13日

信念と執着は違いますよね

亡祖父の霊を迎えるために、昨晩から帰省しています。

今日は、迎え火でした。

まず、お墓で新聞紙と「木の切れ端」で火をおこし、その後、亡祖父の家で再び火をおこします。

まだまだ健在な祖母を囲んで、親戚一同で食事をしました。
目には見えませんが、祖父もその場で一緒に食事をしたのでしょうか。

さて、その食事のときの会話。

ボクのおふくろが、迎え火用の「木の切れ端」を買ったら180円もしたと、ずっと文句を言っています。

「金持ちは金が好きか」と言われたら、確かに「好き」だと思います。
でも、彼らは、金に「執着」はしていません。

自分のおふくろのことをブログに書くのは心苦しいのですが、「執着」とは、私のおふくろのような精神状態を言うのではないでしょうか?

せっかくの親戚揃って、いや、祖父が一年に一度、この世に戻って来て、みんなで楽しく食事をしているときに、ずっと、

「こんな木の切れ端が180円」

と文句を言っているのです。

実際、原価は10円もしないでしょう。

しかし、確かにボクの実家は両親ともに年金暮らしで裕福ではありませんが、180円のために明日飢え死にするほどの貧乏でもありません。

大切なのは、祖父の霊を迎えて、みんなで食卓を囲むことです。
そのための「お盆」なのです。

それに、180円に執着しているのに、その日頼んだ出前の料理の値段はその100倍もするんです。
だったら、180円のことなど忘れて、料理を楽しむほうがはるかに建設的です。

そうなのです。
「信念」は「建設的」なのですが、「執着」は「非建設的」なのです。

ボクも、なにせ、そのおふくろの血を受け継いでいますので(笑)、執着しがちな欠点があります。

「気をつけないとな~」

そう思わされた夜でした。

ブログに書いてしまってごめん!>おふくろ(笑)

2005年07月17日

祝!一周年

12

東京に引っ越してきて、7月17日で1年になりました。

1年前の今日は、40度の暑さの中、荷物の搬入に追われていましたが、長いような短いような1年が過ぎ、再び東京ならではの蒸し暑い夏の季節です。

ボクは、年単位よりも、実は1,000日単位で目標を決めたり、物事を考える事が多いのですが、それでも、やはり一周年というのは感慨ひとしおです。

表面的な活動では、東京に来てから執筆した書籍はたったの2冊。
その他、監修1冊にプロデュース2冊がありますが、いずれにせよ、表面的には停滞の一年のように感じられます。

表面的にもっとも大きな変化と言えば、何と言っても、上の写真にあるように、『佐藤しのぶ 出逢いのハーモニー』にITライターとして初めて出演したことでしょうか。

約200万世帯が見たと言われる私の出演したときの放送ですが、再放送が内定しているようです。

それでも、表面的な停滞の印象は拭えません。

しかし、水面下では着々といろいろなことが進んでいます。
欲を言えば、この「祝!一周年」のブログを書くまでに成し遂げたかったことが2つほどあるのですが、これは、これからの1年間のお楽しみ、といったところでしょうか。

いずれにせよ、最初の1年の最低目標は、「東京に来てよかった」と思える1年にすること。
そうした意味では、東京に住んでいなければ実現しなかったことが水面下で進んでいる現状は、素直に嬉しいの一言です。

次の1年をより有意義なものにするために、明日からしばらく帰省し、健康診断を受けたり、所用を済ませてきます。

実は、ボクの人生の大目標は、65才までの何日かの間に、「生まれて来てよかった!」と思える日をあと3,000回、生きることです。

これまでに、2,000回は、「生まれて来てよかった!」と思える日を過ごしてきました。
一日も無駄に過ごさなかった中学校の3年間。
ITライターとしてデビューした最初の4年間。

人生3万日弱。
5,000回感動できれば、振り返ったときに「いい人生だった」といえるのではないでしょうか。

人生には3つのできごとしかありません。
生まれること。
死ぬこと。
そして、その間に感動すること。

ボクたちは、感動するために生まれて来たのだとボクは信じています。

あと、3,000回感動するために、気分一新、頑張ります。

2005年06月22日

長野から友人が上京

09

昨日と今日、長野から友人が上京した。
もっとも、そのために、仕事を調整して、早めに作業を進めていたのだが。

さて、六本木を中心にいろいろなところを案内したが、友人はいたく喜んでくれた。年に4~5回は、これからも遊びに来たい、と言ってくれて、ホストとしては嬉しい限りだが、正直、男二人で遊びに行くようなところはあまり知らない。

次に、彼が上京したら、今度は、どこに連れて行こうか・・・(苦笑)

いずれにせよ、学生時代の友人というのは本当にいいものだ。
お互いの昇進や成功を心の底から喜び合える友人なんて、そうそういるものではない。
こうした友人に恵まれている自分は、本当に幸せ者だと思う。

もっとも、「この種の友人」だと思っていた人間に、昨年は煮え湯をたっぷりと飲まされたわけが、それも、今となってはいい経験である。
いや、「いい経験」と言えるように頑張らなければならないと思っている。

また、昨年の彼のおかげで、「人を疑う能力」も多少なりとも身に付いた。

かのエジソンは、次の名言を残している。

「天才とは一パーセントのひらめきと九十九パーセントの努力(汗)である」

しかし、私に言わせれば、これは名言でもなんでもなく迷言である。

エジソンは努力の大切さを伝えたかったのではなく、

「九十九パーセント努力しても、残りの一パーセントのひらめきがなければ何をしても無駄ですよ」

と言いたかったのではないかという、うがった見方もできるからである。

ちなみに、英語で言うと、「ひらめき」は「インスピレーション」。努力、すなわち「汗」は「パースピレーション」。「ピレーション」の音節が洒落になっている。
要するに、単なる「言葉遊び」とも言えなくもない。

さて、「助けてくれる」のも友人、「足を引っ張る」のも友人。
しかし、兄弟ですら足を引っ張り合うのだから、これもやむを得ないと思う。

友人には2種類いることを、長野の「助けてくれる友人」と時間を過ごしながら再確認できた有意義な2日間だった。

そうそう、余談だが、昨日、例の六本木のクリニックににんにく注射をしに行ったら、隣でアルフィーの高見沢さんもにんにく注射をしていた。
もっとも、「にんにくの臭いのしない注射でお願いします」と頼んでいたが(笑)

あのにんにく臭、苦手な人もいるに違いないとずっと思っていたが、その第一号の出会いが高見沢さんとは(笑)

2005年05月27日

あつしです 4

あつしです。

小学校の時、新日本プロレスの試合を見に行ったとです。

その日のメインイベントは、アントニオ猪木とアブドラザブッチャー。

入場前に、何気なく、体育館裏の空き地に行ったら・・・

信じられない光景を目にしたとです。

何と、そこで、猪木とブッチャーが満面の笑顔で楽しそうにキャッチボールに興じていました!

入場料、返してください・・・

気を取り直して、イチロー速報です

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試合  打数 安打 打率   予測通算安打 263本まで
41   168   56  .333    221       207
42   172   57  .331    220       206
43   177   57  .322    215       206
44   180   60  .333    221       203
45   184   60  .326    216       203
46   188   61  .324    215       202
47   193   62  .321    214       201
48   197   63  .320    213       200
 
このままで行くと最終安打数は213本。
昨年の262本どころか、クリアして当然の200本をわずかに上回る程度です。
もっと頑張って欲しいです。
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2005年05月24日

厄落とし

物凄く久しぶりに麻布の隠れ家に行った。

「姉さん」ことそこのオーナーは、ガーゼでぐるぐる巻きにされたボクの耳を見て驚いたので、このあたりの話をする。

すると、

「あと1ヶ月早かったら、そのガーゼ姿でテレビに出なければいけなかったってことよね。ていうか、それじゃ、テレビのトーク番組には出られないわよ。それに、また次の話が来ているんでしょう。

結局、あなたは今年怪我をする運命にあったのよ。それが、テレビの収録と収録の合間、ガーゼを巻いていても誰にも迷惑をかけない時期に怪我をするなんてラッキーじゃない。

これで厄落としは済んだわね。もっと頑張りなさい」

と言ってくれた。

実際、顔のかすり傷一つで、決まっていた化粧品のCMを降ろされ、それがケチの付き始めで、人気が凋落してしまった女優もいると、芸能界の隅々まで知り尽くしている姉さんは言う。

結局は、何でもそうだが、気の持ちようなのだ。
この世に悲しい出来事も嬉しい出来事もない。
出来事に対して、それを「悲しい」と感じるか、「嬉しい」と感じるか。
それだけの違いである。

「雨が憂鬱」という人がいるが、その雨を喜んでいる人がどこかにいるのだ。
憂鬱なのは「雨」ではなく「心」なのである。

よく、「願えば叶う」というと、「そんなはずはない」と斜に構える人がいるが、「そんなはずはない」と思うから、「そんなはずはない」世界が実現しているのである。

怪我を見て、「ラッキー」「厄落とし」と思う。
そう思える人だから、姉さんは芸能界のマネージメントで頭角を現し、レストランの経営にも成功しているのである。

彼女の成功は偶然ではない

2005年05月18日

あつしです 3

あつしです。

テレビのスポーツニュースでプロ野球のセ・パ交流試合を放送してました。

興奮気味にキャスターが言ったとです。

「いやー、野球は筋書きのないドラマですねー!」

・・・。当たり前です。
筋書きがあったら八百長です!

2005年05月16日

災難確率

生きていれば、人間は一定の確率で災難にあう。

先日の、JR西日本の福知山線の事故。

いつもは絶対に乗らないのに、韓国旅行、初めての海外旅行のためにその電車に乗って亡くなった方がいる。
また、息子が「送っていくよ」と言ったのに、「電車のほうが安全だから」と事故に巻き込まれた方がいる。

その一方で、何千回もその電車に乗っているのに、かすり傷一つ負わなかった方もいる。

不幸は、いつ襲ってくるかわからない。

ただ、今回、大怪我をして、一つ、悟ったことがある。

死亡、重体、重傷、骨折、かすり傷。

程度の差こそあれ、こうした災難にあう確率を、自ら高めるほど愚かな事はないということだ。

今回のボクの転倒事故も、床に書類を散らばしていなければ防げた事故だ。
組んでいた左足が痺れてるな、と思ったときに、痺れが取れるまで立ち上がらなければ防げた事故だ。

そう考えると、自分でも無意識のうちに災難確率を下げようと思っていることがあった。
まだ、静岡に住んでいた頃、出張で東京に来ていたボクは、駅のプラットホームで、立ちくらみで前のめりに倒れる人を見た。意識があったため、その人はとっさに両手をついて、まったく事なきを得たが、その手はホームの端、すれすれだった。

要するに、その人が、あと50cm、ホームの外側に立っていたら、その人は線路に転落して大怪我をしていたわけだ。いや、万が一、そのタイミングで電車が来たら・・・

それからボクは、自分では普段は意識していないが、ホームの外側で電車を待たないようにしている。無意識のうちに、災難確率を低めているわけだ。

ボクは、タクシー代の節約のために、先月、スクーターを買った。
実際に東京でスクーターに乗ってみると、やはり怖い。
何が、怖いかと言うと、路上駐車の車が非常に多いのだ。

ボクは、大学生の時に、路駐のトラックを左前に見ながら走っていたら、突然、そのトラックのドアが開いたことがある。
コンマ何秒かの間に、ボクは2つのうちどちらかを選択しなければならなかった。

1つは、そのままトラックのドアにぶつかること。
1つは、意図的に転ぶこと。

当時はヘルメット規制もなくてノーヘルメットだったボクは、

・転んだら頭を打って死ぬかもしれない
・転んだタイミングで後続車が来たら、ひかれて死ぬかもしれない

と、はっきりと「死」を意識しながら、しかし、転ぶことを選択した。

幸い、かすり傷で済んだが、こんな経験をしているため、路駐の車の横をスクーターで走り抜けるのは恐怖を感じるのだ。

ちなみに、昨年、1年間で使ったタクシー代は6万円にも満たない。
今年は、目標の1つにタクシーを使わないことを挙げているので、今のペースで行けば、年間3万円程度だろう。

この3万円を節約することと、災難確率を自ら引き上げることと、どちらを選択するか・・・。

ボクは、スクーターを手放すことに決めた。

2005年04月26日

あつしです 2

 あつしです

 中学時代はバレーボール部のエースアタッカーだったとです。なのに、バレーのルールがわかりません!

 25点制の話は当時から出ていましたが、一人だけユニフォームが違うあの人は誰ですか?(苦笑)

 では、本日もイチローの成績を。
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試合 打数 安打 打率   予測通算安打 263本まで 必要安打/試合
10   40   16  .400    259       247     1.625
11   44   19  .432    280       244     1.616
12   47   21  .447    284       242     1.613
13   52   21  .404    262       242     1.624
14   55   22  .400    255       241     1.628
15   60   23  .383    248       240     1.633
16   64   24  .375    243       239     1.637
17   68   24  .353    229       239     1.648
18   72   25  .347    225       238     1.653
19   76   27  .355    230       236     1.65

このペースを保てば、最終安打数は230本。昨年の262本には遠く及びません。
新記録の263本を打つためには、1試合に1.65本のヒットが必要です。

新記録を樹立した昨年よりは好発進ですが、このペースでは新記録は樹立できません。昨年は、早々と優勝争いから脱落して、好き放題できた幸運もあった事を考えると、もう少しペースを上げて欲しいですね
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2005年04月23日

あつしです

 あつしです。

 昨日のブログで20代に間違われる話をしました。実際、リアルエイジはともかく、マインドエイジは20代のつもりです。

 なのに、今年大学に入った親戚の女の子のメールの顔文字が理解できないとです・・・

<抜粋>
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ぉはょぅ~あっc♪(*^∀゜)vすっごぃ久しぶりだねっ☆(^^)あっcの本、こっちでも売ってるぅ~!!!(゜゜;))こっちでも出してるのぉぉぉ!?すごいぢゃω♪(^□^*)vぅωっ是非②買うЙё☆彡(*´ε`*)ぅωっもぉ~大学生活満喫してるょぉ↑↑あっcも仕事頑張る事ゎ大事な事だけど、あまり無理しなぃょぉにね(>ε<)(*^3^)/~
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「あっc」は、どうやら「あっちゃん」のことのようです(彼女はボクの事をそう呼ぶので)
また、ボクの本は静岡限定だと勘違いしていた様子がかろうじて伝わってきます

・・・、難しいメールだとです。


 では、本日もイチローの成績を。
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試合 打数 安打 打率   予測通算安打 263本まで 必要安打/試合
10   40   16  .400    259       247     1.625
11   44   19  .432    280       244     1.616
12   47   21  .447    284       242     1.613
13   52   21  .404    262       242     1.624
14   55   22  .400    255       241     1.628
15   60   23  .383    248       240     1.633
16   64   24  .375    243       239     1.637
17   68   24  .353    229       239     1.648

このペースを保てば、最終安打数は229本。昨年の262本には遠く及びません。
新記録の263本を打つためには、1試合に1.648本のヒットが必要です

運のいい内野安打1本の翌日は4タコ。完全に調子を落としています。こんな時こそ、内野安打でとにかくヒットを稼いで欲しいです。
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2005年04月05日

子どもは親のおもちゃか

 次に挙げる名前を見て欲しい。すべて、親によって「愛する」我が子に付けられた名前である。

・留樹  るーじゅ
・南椎  なんしー
・海鈴  まりん
・紅亜  くれあ
・偉大盛 いであ  
・紗音瑠 しゃねる
・奏日亜 そふぃあ
・茶彩羅 てぃあら
・夏偉樹 ないき
・路未央 ろみお
・大也(ダイヤ)& 主人(モンド)(双子)
・楽瑠琥(らるく)& 詩慧瑠(しえる)(双子)
・聖星夜(あだむ)& 麗星夜(いぶ)(双子)
・瀬詩瑠 せしる
・美羅乃 ミラノ
・たかしくん(くん、まで名前)
・奈々安寿恵里 ななあんじゅえり
・ハム太郎
・ラッキー星 らっきーすたー
・天使    えんじぇる
・織女    おりおん
・二輪    ばいく
・月下美人  はにー
・光宇宙   ぴかちゅう
・機械    マシン
・愛     らぶ
・一二三   わるつ
・穴痕打   あなこんだ
・案山子   あんざんし(普通に読めば「かかし」)
・運子    うんこ
・精子    せいこ

 ちなみに、ボクの知人は周囲の反対を押し切って「月海」で「ルナシー」と名付けた。「ルナ」は「月」のスペイン語らしい(というか、もはや、何語でもいいが(苦笑)。

 中国では、本来の読みから逸脱した名前などは、かなりの規制があると聞く。日本は、経済ばかりか、こんな当たり前のモラルまで中国に追い抜かれてしまうのだろうか。

 法整備を期待する。

2005年04月04日

なぜ、女性の職業に「美人」と付けるのか

 最近、ライブドアがイメージ戦略として乙部綾子さんを盛んにテレビ出演させているが、こうした人がマスコミに出るたびにいつも思うことがある。それは、なぜマスコミは、女性の職業の前にわざわざ「美人」と付けるのか、ということだ。

 くだんの乙部さんは「美人秘書」。女子アナウンサーは、例外なく「美人アナ」。

 そのほか、美人教師、美人社長、美人美容師、美人警官、美人看護士などなど。

 はっきり言って、これは女性に対する性差別ではないだろうか。少なくとも男性の場合に「ハンサム教師」「イケメンアナ」なんて、わざわざ容姿付きで紹介することはほとんどない。

 こうした性差別が非常に醜いと思うのはボクだけだろうか。まずは、マスコミ自ら自浄すべく、「美人」の代名詞である「女子アナ」が声高に、「美人アナ」という呼称はやめてください、と訴えてみたらどうだろうか・・・。

2005年03月01日

どこまで進む、言葉狩り

1d32c97d.jpg 今朝のフジテレビの「とくダネ」。例の一家5人無理心中と思われる事件を報道していたが、レポーターが、「犯人と思われる男性は、母親の『認知症』に悩んでいた」と言ったとき。すかさず小倉さんは言った。「『認知症』って『痴呆症』のことでしょう?」

 前に、テレビの制作会社に勤める知人に話を聞いたとき、CSなどで昔のアニメの再放送をしているが、番組の最後には、「これは○○年の作品です。一部、不適切な表現もありますが、制作者の意思を尊重し、そのまま放映しました」みたいなテロップを入れないと、今の時代、うかつに放送ができないのだそうだ。

 理由は、今の放送コードに触れる言葉が頻繁に使われているから。冒頭の「痴呆症」もそうだろう。放送禁止用語ではないが、不適切な用語という位置付けのため「認知症」を使うレポーター。しかし、「それでは視聴者がわからない」ととっさに判断した小倉さんが、不適切なことを承知で「痴呆症」と言い換えたわけだ。

 美しい言葉だが意味がわからない「認知症」。差別的なニュアンスが感じられるが、幅広く使われてきた「痴呆症」。どちらがより適切な表現なのか。この件に関しては、「痴呆症」という不適切な用語が今まで使われてきた意識の低さに確かに問題はあるが、それ以上に問題なのは、その代替語である「認知症」では意味が伝わらないことではないだろうか。

 さらに、最近では「ぼける」ことを「天使になる」と言うそうだが本当ですか、みなさん?(苦笑)。

 一昨年の秋。ボクが会話の中で「精神分裂病」という言葉を使ったら、一緒に食事をしていた友人が、「あ、今の言葉、NG。これからは、『精神統合失調症』って言わなければダメよ」と言われた。

「せーしんとーごーしっちょーしょー? 何? それ?」
「精神の統合が失調してるってこと」

「んなことはわかってる! なぜ精神分裂病ではダメなの?」
「差別用語だからよ」

「分裂はダメで、統合失調はいいわけ?」
「そうよ」( ̄- ̄)

「・・・」 _| ̄|○

 昔当たり前のように使われた共通一次試験の「足切り」。不完全を意味する「片手落ち」。こうしたことばは、障害を負った方への配慮に欠けるということで、今では不適切用語になっている。

 このレベルになると、言われて初めて「あ、確かに不適切な言葉だな。気を付けなければいけないな」と感じるが、「ぼけること」は「天使になった」と言いましょう、と言われて、みなさん、素直に「はい、わかりました」と言えるだろうか。

 言われて傷つく方がいる以上、ことばもより洗練されていく必要はあるだろうが、「あれもダメ、これもダメ」。これでは単なる言葉狩りではないか?

 ちなみに、「肌色」も不適切用語である。

 理由は、肌色というのは、東洋人のみに当てはまる言葉で、白人にとっての肌色は「白」、黒人にとっての肌色は「黒」。それを「黄色」と決め付けるのは、東洋人至上主義であり、他の人種に対する差別だからだ。

 こんな、説明をされなければわからないような言葉まで差別用語にされてしまって、ボクたちは、これからどうやって言葉を選別していけばいいのか。もちろん、「肌色」を使うボクに、差別の意識など一片のかけらもないし、ボクは東洋人至上主義者でもない。

 将棋連盟は、「将棋のイメージを損なう」ということで、「将棋倒し」ということばの廃止を求めているそうだ。でも、みなさん、子どもの頃、将棋倒しで遊びましたよね。別にイメージが損なうとは思えませんが。

 言葉狩りについて考察していたら、昔、知力・体力が衰えていくことを「老人力がつく」という言葉に置き換えようという運動がありましたが、「母さん、あの老人力、どこへ行ってしまったんでしょう?」(遠いまなざし)

 さて、今日は、執筆中の本のCD-ROMに収録するマクロの動作検証が主な仕事。また、ライブドアのニッポン放送の株式取得に関して、ある高名な評論家と議論をする機会が設けられる可能性があり、自分の意見をA4、7枚にまとめて、その評論家に届けていただいた。

 夜は、近所の定食屋でビーフカレー。

2005年02月25日

嘘つきは泥棒の始まり

 前々から、このブログでも、「夢とは?」「目標とは?」などと、啓蒙的なことを何回か書いてきたが、「なるほど!」と思う人もいれば、「何を当たり前のことを言っているんだ」と思う人もいるだろう。

 また、以前、「目標を定めて未来から現在を見つめれば、人生は割り算であることに気付く」と書いたが、

 目標 - 現状 = 課題

 と数式にすれば、「人生は引き算」とも言えなくはない。まあ、要するに、「人生は逆算である」ということをボクは述べたかったわけである。

 こうした議論はあちこちで目にするが、なぜか、あまり語られない議論がある。それは、「目標と約束は違う」ということである。

 ボクは独身だが、ここでは、たとえで、既婚者ということにしておこう。

 そして、ボクは妻に言う。

 「将来、首相になって、君をファーストレディーにしてあげる」

 また、ある日、こんなことも言う。

 「結婚記念日には、君が欲しがっていたアクセサリーをプレゼントするよ」

 さて、しかし、ボクは首相にはなれずに、妻をファーストレディーにすることはできなっかた。この場合、ボクは「嘘つき」なのだろうか。もちろん、みなさん、「そうではない」とおっしゃるだろう。なぜか? 理由は簡単。最初にボクが妻に言っていることは、「約束」ではなく「目標」だからだ。目標が達成できなくても「嘘つき」にはならないわけだ。

 しかし、ボクが、結婚記念日にアクセサリーをプレゼントしなかったとする。この場合、ボクは「嘘つき」である。なぜなら、これは「目標」ではなく「約束」だからだ。

 今でもこの言い伝えが残っているのかどうかわからないが、ボクが子どものときには、嘘をつくと、「嘘つきは泥棒の始まり」と言って、ひどく親や学校の先生に叱られたものだ。

 だが、「次の期末試験では学校で一番になる」と言って、なれなくても、怒られた記憶はない。「一番になる」は、「目標」であって「約束」ではないからだ。

 ボクが「この人とは友達になれない」と思う類の人の共通項の1つが、「目標」と「約束」を混同している人だ。要するに、言ったことを守らない人でも、「目標」を守らない(守れない)のは仕方ないと思うが、まるで「目標を守らない」がごとく、「約束」を平気で守らない人間とは付き合う気になれない。

 中でも、一番嫌いなのは時間にルーズな人。残業などの致し方ない理由もなく、待ち合わせ時間に20分くらい遅れて来ても平気な顔をしている人の精神構造がボクには理解できない。時間という、お金よりも大切なものを他人から奪っておきながら平気な顔をしていられる人。待っている人の孤独感などに思いを馳せることができない人。

 人生は短い。だからこそ、こうした類の人と付き合うのは時間の浪費だと考える。

 ただ、自分は「目標」のつもりで言っていても、相手はそれを「約束」と思い込む。そして、見解の相違が生じて関係がギクシャクする。こうしたことは多々あるであろう。この「目標」と「約束」の微妙な解釈の相違で、親友になれたり、はたまた、敵と思い込むほどの憎い相手に転じたり。ここが人間関係の難しいところである。

 突然、こんなことをブログに書くと、「大村さん、何か、嫌なことでもあったのではないか」と思われる方がいらっしゃると思うが、決してそういうわけではない。

 ただ、今日、自分のブログを読み返していて、随分と「目標」を書き殴っているな~、と感じた。そして、読んでいる人にとっては、一定の割合で、それを「約束」と受け止めている人もいるんだろうな~、と思ったら、自省の意味も含めて、「ブログなら何を書いてもいい、というものではない」と感じたしだいだ。

 ボクが「目標」で書いたつもりのことを「約束」と受け止めた人は、もし、ボクがその目標が達成できなかったら、もしくは、方向転換をして目標を差し替えたら、その人の目にはボクは「嘘つき」「泥棒」と映ってしまうのか。そう考えたら、少し怖くなった。

 実は、「継続は力なり」ではないが、今年の1月1日から、1日も欠かさずにブログを書いていたら、日に日にアクセスが伸びている。幸か不幸か、公式ホームページの存在意義がなくなってしまうくらい、このブログの方にアクセスが集中している。

 そして、それだけ多くの人に読まれている以上、本人は、「ブログ=書き殴りの日記&書き殴りの目標」のつもりでも、書いたことには責任を持たなければいけないな~、と感じたわけである。

 と、ここまで書いて、自己矛盾に気付いた。

 「目標をあまり書き殴らないようにしよう」という「目標」を、言ったそばから、こうしてブログに書いているわけだから・・・(笑)。まるで、「欠席してる人、手を挙げなさい」と言っているようなものだ。どんなに自省しても、自分のこの癖は直らないのか・・・。

 あー、このパラドックス、悩ましい!

 そうそう、みなさま、昨日のクイズの答えはわかりましたか? わかった方はトラックバックでお答えください。。正解は、新しい表紙ができるまでお待ちください。両方の絵を見比べれば一目瞭然ですから。

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大阪生活、ときどき本。

『Excel VBAに恋をした!?』がお役に立ったようで嬉しいです。トラックバックさせていただきました
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2005年02月17日

ふるさとは近くにありて思ふもの

 ボクが「東京のお父さん」と慕っているKさん。静岡県の三島から東京の港区に移り住んで17年目だそうだが、彼が発見したある法則。それは・・・。

 東京より東がふるさとの人は東京の東側に住みたがる。西がふるさとの人は西側に住みたがる。本人は意識していなくても、7割くらいの人がこの法則に当てはまる、と彼は言う。

 東京は、ご存知のとおり、地方出身者で溢れる街だ。東京で生まれ育った生粋の江戸っ子はどれくらいだろう。2割もいないのではないか。実際、東京で出会った50人ほどの友人・知人のほとんどが地方出身者だ。そこで、思いつく限り、出身地と東京での居住地を符合してみた。すると・・・。

 秋田出身のあの人は上野。北海道出身のあの人は秋葉原。関西出身のあの人も、この人も中野。九州出身のあの人は世田谷などなど。なんと、7割どころか、9割もの人がKさんの法則に当てはまるではないか。

 かく言うボクも、上野や秋葉原のような山手線の右側には住みたくない。なぜなのか、自分でも理由がわからなかったが、恐らく、少しでも静岡のそばに住みたい、という意識が働いているのだろう。これは、凄い発見である。

 このブログを読んで、「なるほど」「確かに!」と思った地方出身の東京都民は少なくないはずだ。

「ふるさと」と言えば、北海道は言うまでもないが、東北、関西、四国、九州の人たちは、出身県が同じ人はもちろん、同じ地方であれば「同郷」と認識するようだ。福岡と鹿児島の人が、「九州ですか! 私もです!」なんて会話をしている場面は何度も目にしてきた。

 しかし、静岡県民は違う。静岡は東海地方だが、正直、愛知も三重も「同郷」と思ったことはない。まるで、静岡だけどの地方にも属していない、独立王国のような感覚を、ボクたち静岡県民は持っている。

 もっと言えば、面積が広く、横に長い静岡県に住むボクたちは「部」を非常に重視する。ちなみに、ボクの富士市は東部だが、西部の浜松出身の人が同郷という感覚はない。富士市から見たら、浜松は東京よりも遠く感じる。方言も違う。

 そんな意識を考慮してか、昨年、港区で開かれた「静岡県ふじのくに交流会」に出席したとき、リボンが4色用意されていた。伊豆地方、東部、中部、西部と、それぞれが違う色のリボンを付けて、会話がより弾むように、という計らいである。

 その分、沼津や三島など、同じ静岡県東部出身と聞くと、非常に親近感が湧くわけだが・・・。

 今日は、以前このブログで書いた、麻布の隠れ家に行った。「姉さん」ことその店のオーナーは、警備の関係上ここには記せないが、近日中に、某所でクリントン元大統領と一緒にティーパーティーを開くそうだ。美空ひばりさんの息子さんの結婚式でも、松竹梅の竹。主賓席の隣の最前列のテーブルに招待された大物だが、そんなセレブが2時間もボクの話し相手になってくれた。

 ボクとは親子ほども歳が離れているが、「姉さん」とは何時間話していても飽きることがない。

 もっとも、向こうは大物なので、ボクが話を聞いて飽きないのは当たり前だが、なぜ「姉さん」がボクの話に飽きないのか。理由はわからないが、これが「相性」「波長」というものだろう。

 冒頭のKさんもそうだが、歳の離れた友人に恵まれているボクは幸せ者だ。

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本日のご紹介

今日のお勉強 -けるのお仕事日記-

1/22の日記「なぞなぞがわからん」で、拙書『Excel VBAに恋をした!?』の素敵なレビューをいただいています
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2005年02月15日

人生に八方塞などない

「八方塞」ということばがある。文字通り、前を見ても左右を見ても、扉がすべて塞がれ、身動きが取れない状態。しかし、本当に八方塞なんて状態はあるのだろうか。

 ボクも、これまでに何度も地獄を見てきた。八方塞だと思ったことは一度や二度ではない。しかし、今もこうして生きている。あくまでも私見だが、ボクたちには、扉が閉ざされてしまうと、その扉ばかりに注意を奪われてしまう悪癖があるように思う。

 その扉の向こうに、自分の夢がある。そう思うと、閉ざされてしまった扉にばかり目を奪われてしまい、八方塞だと絶望感に襲われる。いや、閉ざされてしまったからこそ、その先に夢があるとつい思ってしまう。

 しかし、8つも扉があれば、必ず開いている扉があるはずだ。人生は、それに気付くか気付かないか。成功者とそうでない者の違いは、ただそれだけ。そんな気がする。

 なぜこんなことを言うのか。今、ボクは、新しい夢に向かって試行錯誤を繰り返している。なかなか思うように前に進めない。『篤があつしに変わるまで』で書いているとおり、ITライターとしてデビューするまでは、それはそれは困難な道のりだったが、その比ではないほど厚くて高い壁に阻まれている。

 正直、「八方塞だ」と断念しかけたが、夜が白々と明けるまでベットで夢想している時に、「人生に八方塞などない」と思い至った。

 確かに、目の前の扉はなかなか開かない。右前方の扉も、左前方の扉も、右の扉も、左の扉も閉ざされている。しかし、まだ、右後方、左後方、そして真後ろの3つの扉があることに気付いた。後ろを振り返るなんて、後ずさりするようで嫌だったが、その3つの扉のどこかを攻めれば、夢に近づける。そのことに気付いた。

「急がば回れ」とは言い得て妙だ。一歩、後退して、その扉の向こうに行けば、その世界では、真正面の扉が開いているかもしれない。

 そう思ったら、また、チャレンジする元気が沸いてきた。

 上京してたったの7ヶ月。ボクの本当のチャレンジはこれからだ。

2005年02月13日

進化するエイズウィルス(生命進化の必要悪?)

 ボクも素人なので難しいことはわからないが、近年、エイズの治療に有効とされてきたのは多剤併用療法、要するに、複数の薬を用いることで、発症を抑える方法。

 これが奏功してきたわけだが、先日、「多剤耐性を持つエイズウィルス」、すなわち、多剤併用療法では発症が抑えられない新型のエイズウィルスが世界で初めて発見された。

 また、従来のエイズウィルスとのもう1つの大きな違いは、従来のものは潜伏期間が10年以上と長かったのに対し、新型ウィルスは2~3ヶ月で発症する。

 すなわち、有効な治療法もない上に、発見できたときにはすでに発症してしまっているという、何とも性質の悪いウィルスなのだ。

 これは、言うならば、エイズウィルスの進化である。多剤併用療法により、やっとエイズの発症を抑え込める、と思ったのも束の間、人間の英知をあざ笑うかのように、新型ウィルスが登場してしまった。

 また、HIVウィルスと人間の英知との新たな戦いが幕を切って落とされたわけだ。

 多少宗教的になってしまうが、生存率の低い病というのは生命の進化のための必要悪であり、神が考えた生命進化のための一手段だと考える人がいる。

 もし、あらゆる病気が錠剤1粒で治ってしまったら、人間という動物の平均寿命はとてつもなく長くなり、すでに、この地球という星は人間生存の許容範囲を超えてしまっている以上、人口の増加を防ぐために、もしくは人口を減少させるために、神は一定の割合で天寿を迎えることなく死に至る人を選別しているという考え方。

 そして、そうすることで、逆に、「人間」という「種」が存続し、繁栄するのだ、という考え方。要するに、ある種が絶滅しないためには、その種の中に一定の割合で犠牲者が必要であると神は考えている。動物(ネズミなど)に見られる集団自殺なども、この「種の繁栄」という指令をインプットされた彼らのDNAに、ある瞬間にスイッチが入って、種の繁栄のために自らを犠牲にするために発生する現象だ、というわけだ。

 この考え方に照らせば、仮にガンが錠剤1粒、注射1本で治る世の中が来ても、治癒が難しい、死亡率の高い新種の病気を神は我々人間に与えるであろう。

 確かに一理あるのかもしれないが、動物、特に人を死に至らしめるウィルスが進化する、そして、その進化と人間の英知とのいたちごっこにはうんざりだ。

 人類すべてが天寿を全うできる世の中になって欲しい。こんなボクの理想は、進化という大きな仕組みの中では、受け入れてはもらえない甘っちょろい考えなのだろうか。どうしても、理不尽、不公平を感じるのを禁じえないのはボクだけなのだろうか?みなさまは、どうお考えだろうか?

 そうそう、「治らない病気」というと身近なモノに「虫歯」があるが、ボクは、実は「虫歯にならない予防法」は確立されていると推測している。しかし、みんなが虫歯になってくれなければ、困るのは歯科医である。だから、その予防法は公にされないのではないか。こう考えると、日本歯科医師連盟と大物政治家との癒着も何となく説明が付く気がするのだが、ボクの考え過ぎだろうか?

 HIVウィルスにせよ、生命の進化にせよ、虫歯にせよ、ボクは素人なので、遠慮なくトラックバックをいただければ幸いだ。

 今日は、3連休の最後の日。家でのんびりとコクーンで「富豪刑事」を見ていたら(このドラマ、そして主演の深田恭子、最高!(笑)。また1人、好きなタレントが増えてしまった)、友人から夕食のお誘いがあった。

 明日バレンタインだから、というわけではないと思うが、食後に、チョコをナンで包んだ美味しい「チョコナン」をご馳走になった。

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2005年02月06日

二極化の街、東京(夢の格差)

 以前、僕はある雑誌に、『上海と東京』というエッセイを寄稿した。上海に行って一番驚いたのは、億ションを即買いする富裕層が優雅に食事をしているレストランのそばで、物乞いをする子ども達の姿。その貧富の差であった。

 上京して半年以上が経過したが、静岡との違いは、それは数え切れないくらいある。しかし、もっとも痛切に感じたのは、二極化の凄まじさである。

 以前、六本木ヒルズ最上階のシティービューに行った。そこからは、東京都心のすべてが見下ろせる。普通は、「夜景が綺麗」と楽しむためのスポットだが、僕が感じたのは、「眼下に広がるこの無数のビル。そして、その無数のビルの中にある無数の部屋。その1つ1つにオーナーがいて、そのオーナーに賃貸料を払いながら生活している個人(家族)、仕事をしている会社がある」。この当たり前の事に驚かされた。

 僕たちが、数千円のタクシー代を節約しようと、息を切らせながら終電に飛び乗っているときに、数十万円のシャンパンを優雅に楽しんでいる富裕層がいるわけだ。それも、100人、200人ではない。数万人単位でそのような人がいる。

 確かに、上海ほどではないが、この貧富の差は静岡ではあり得ないことだ。もちろん、地方に行けば「名士」と呼ばれる富裕層はいるが、1つの街に数十人という世界。残りの99.9%は、ほとんどが同じ幅の中で同じような生活を営んでいる。

 しかし、それ以上に感じるのが、「夢の格差」だ。バーで、ひょんなことで日本人なら誰でも知っている大物と知り合いになったりする。いわば、夢を実現した人々だ。

 しかし、そのバーで働いている人は、夢を追いかけながら、その日の生活のためにそこで汗を流している。

 要するに、成功した人と、成功したい人。こうした人たちの満足、欲望がねじれながら強烈に渦巻いている街。それが東京だ。そして、この「夢の格差」は、「金の格差」よりも凄まじく、また、深刻である。

- 僕は負けたくない -

 のどかな故郷から東京に戻るたびに、その思いを強くする。


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カンタンExcel塾

私の『かんプロ』シリーズが、お勧め書籍として、5つ星で紹介されています
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2005年02月05日

老化に挑む

 ちょっと早いけど、今から帰省するので、今日の分のブログを書いてしまおう。

 今日は、昨年末にコクーンに録画しておいた、NHKスペシャル『老化に挑む』を見た。感激した。涙が出てきた。98才にして、中国語を勉強しているかた。102才にしてジョギングにチャレンジしている方。

 人間の脳は、当然、年とともに衰えていく。特に、50才を過ぎるとその衰えは顕著になるそうだが、最近の医学では、脳の衰えに歯止めをかけたり、また、再生することも可能であることがわかってきたそうだ。

 要するに、脳は筋肉と一緒。使えば使うほど、健康な状態を維持でき、かつ、再生することもある。筋肉も、適度な負荷を与えなければ増強できないのと同じで、脳も、自分の能力より若干高めのことにチャレンジすることで、鍛えられるのだそうだ。また、その「手習い」も、興味のないことにいやいやチャレンジするのではダメ。「楽しい」と思いながら、外国語を勉強したり、俳句を読んだり。そんな日々の積み重ねが、脳を維持してくれる。

 10年前、ボクの人生の大きな転機となった1冊の本。『脳内革命』に書かれていたことが、この10年で次々に「事実である」と証明されてきている。 

 『脳内革命』でボクは生まれ変わることができた。この10年、充実した日々を送ることができたのも、『脳内革命』のおかげだ。いわば、ボクのバイブルだ。

 帰省の車中、もう一度、『脳内革命』を読み返してみよう。そして、これからの人生や、今年立てた目標をじっくり考えてみることにしよう。

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2005年01月28日

ボクは回遊魚

 以前、ブログで書いた『女子大生会計士の事件簿』の著者の山田真哉さんに会いに行く。自宅マンションからたったの一駅。山田さんはもちろん、その事務所の方々は、全員素晴らしい人たちで、物凄く意気投合。大いに話も弾んだが、僕はともかく、みなさんはお仕事中だったので、後ろ髪を引かれながらも「近々にみんなで食事をしましょう」と言って事務所を後にする。

 猛烈にお腹がすいていたので、久しぶりにタクシーを利用し六本木へ(今年の目標の1つは、タクシーを使わないこと、であるが、そこから六本木は、電車の乗り継ぎが悪い上に、タクシーで北上すれば非常に近いので、タクシーにした。実際、1000円かからなかった)。

 さて、昨日、『人生は割り算』というエッセイを来週、不死鳥ドットコムに掲載しようと思っている、と書いたが、同時に、1つ思ったことがある。かいつまんで話すと・・・。

 僕は変化がないのが嫌いだ。つまり、毎日、「今日も生きていた」という証のようなものがないと我慢できない性格である。
 その点、プログラマーだった昔や、ライターの今は、自分に適した職業だと思っている。プログラマーなら、今日は200行のコードを書いた、今日はバグを3つ潰した、といった目に見える成果物と進捗がある。
 ライターなら、今日は3ページ書いた。今日は、構成を練り直した、といった目に見える成果物と進捗がある。

 つまり、この目に見える「成果物と進捗」がないと我慢できないのだ。最近、僕は、ブログのタイトルを『ボクは不死鳥』に変更したが、言うなれば、「ボクは回遊魚」である。

 泳ぎ続けていないと死んでしまう回遊魚と同じで、常に全力で何かに打ち込んでいないと生きている気がしない。友人は、長い人生の中では、停滞の時期もあるし、あえて、何もしない方がいい時期もあるというが、「大殺界だから、向こう3年は何もするな」なんて細木数子に仮に言われても、僕は絶対にじっとしていないだろう(細木数子に逆らうなんて、神をも恐れぬ行為(笑)。
 
 その結果として、物事が悪い方に進んでも構わない。そう、本気で思ってしまうくらい、僕はじっとしていられない性格である。考えてから行動しているつもりだが、時に、行動した後に考えることもある。いや、厳密には、「考えながら行動してしまう」のが、良くも悪くも僕の習慣であるような気がする。

 さて、拙書『Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記』だが、素晴らしいレビューを幸運にも見つけることができた。感謝の気持ちを込めてトラックバックをさせていただくことにした。

2005年01月27日

人生は割り算

 早々に、日経ソフトウエア誌の5月号(3月24日発売)のエッセイを書き上げる。

 実は、このブログ、時々、体験した日付と実際に書いている日付が、前後に1日程度ずれることがある。もちろん、システム上の問題ではない。僕が、単に、こまめに毎日更新できていないだけだ。

 ということで、昨日のブログに書いたが、実際には一昨日、僕は『Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記』の書評のお願いということで、大手新聞社9社に本を送ったが、とんでもないミスをしていたことに気づく。

 某新聞社から電話があり、「お、早速、反応してくれたか」と喜んだのも束の間、「部署が書いてないので、荷物の処理に困っています。どの部署に届けますか?」という問い合わせだった。

 うかつだった。当たり前と言えば当たり前だ。部署も書かずに新聞社に送っても、書評担当者に届くはずがない・・・。こんな当たり前の事に気づかないなんて・・・。

 もちろん、「書評担当者にお願いします」と答えて、「それなら編集部に届けておきますね」と電話の向こうの人は言ってくれたが、さすがに、かなりへこんでしまった。

 残りの8社はどうなったのだろう。荷物の受け取り部署が特定できずに、放置されたままなのかもしれない。仕方がない。来週、1社1社、電話で、荷物がどうなっているか確認をしてみることにしよう。

 何て間抜けなんだろう、僕は!

 さて、冒頭に書いたとおり、今日はエッセイを1本書いた。候補は2つあったが、迷った末に、1つに絞ったので、日の目を見なかったネタが1本あるわけだ。これは、来週の火曜日にでも上げるとして、とりあえず、どんな話だったかをかいつまんで話したい。

 よく、「人生は掛け算」という人がいる。つまり、人間には、生まれ持った先天的な能力がある。僕たちは、これを「素質」「資質」と呼ぶ。この素質に、育った環境、要するに、家が金持ちかそうでないかとか、親の愛情をどれほど注がれたかとか、こうしたものを掛け算していった結果が、「現在」である、という考え方だ。

 もちろん、これには一理ある。しかし、「10年後に自分はこうなっていたい」という目標設定をする。そして、そのために、これからの3年間をどう過ごすのか、中期目標を立てる。その中期目標を達成するために、今年は何をしなければならないかを考える。今年、そのステージに到達するために、春までには何をすべきか。希望どおりの春を迎えるために、1月はどうやって過ごすか。悔いのない1月にするために、今週すべきことは何か。そして、今日は何をすべきか。それが「現在」である。僕はそう考える。

 要するに、人生は割り算なのではないか。そう思えてならないのだ。

2005年01月15日

実るほど、頭を垂れる稲穂かな

昨年12月25日に録画しておいたNHKスペシャルをコクーンで見る。

生命の歴史は淘汰と進化。強き生物は、進化する必要がないため、自分たちの時代を謳歌する。しかし、急激な環境の変化に適応できずに滅亡していった。逆に、弱き生物は、海から河に逃げ込み、薄い酸素の中、肺という機能を持つにいたり、障害物だらけの川底で生きるために手足の原型のようなものを持ち、さらに、陸に上がったら、少ない食べ物を正確に視認するために目が変化を遂げた。

こうして、弱いからこそ、進化という方法で生き延びてきたごくごくわずかな生命の子孫が我々人間である。ということは、進化の必要性を感じていない人間には未来がない。いずれは、自滅・絶滅というシナリオが描かれている。
そう言われても、その頃、当然にして自分はすでに死んでいるので、ピンと来ないところもあるが、「おごれる者は久しからず」。

地球の歴史、生命の歴史というとんでもない壮大な歴史でも、人間のたった80年の歴史でも、企業のたった30年の歴史でも、このことだけは真理のようだ。

実るほど、頭を垂れる稲穂かな。

2005年01月09日

荒れる成人式の責任はマスコミにあり

 数年前、四国だったと思うが、成人式で大暴れした数人組を市長が告訴に踏み切ってから、若干、おとなしくなったが、役所に勤める友人に聞くと、あいも変わらず、成人式は荒れているらしい。

 しかし、みなさん(と言っても、25才の人、40才の人、いろいろいるだろうが)、自分の成人の日の事を思い出して欲しい。あなたを含めて、周りの新成人は、みなさんおごそかに、祝辞を聞いていましたか? 完全に同窓会と化し、おしゃべりしまくってはいませんでしたか? 女の子は、(多数の人は)まだ結婚式の経験がない。すなわち、人生で初めての着物のお披露目。早朝5時に着付けときっちりセットした髪型で晴れの舞台を楽しんでいませんでしたか? もちろん、この女性心理を否定する気は毛頭ない。むしろ、可愛らしいとさえ思う。それに、成人した自分の振袖姿を見せるのも親孝行であろう。

 成人式の最中に携帯メールなどとんでもない、という人もいるが、僕の成人式の時には携帯電話がまだなかったに過ぎない。あれば、間違いなく、僕も退屈な祝辞など聞くことなく、メールをしたり、iアプリで時間を潰し、式典が終わったら、そのまま同窓会に流れ込んでいたことだろう。今の僕なら、1~2時間の退屈な祝辞も我慢できるが、20才の僕にそれができたかというと、まったくもって自信がない。

 確かに、当時は、壇上に上って酒を飲む、なんてパフォーマンスをやらかすバカはいなかった。それを考えると、当時より性質が悪くなっている、当時より幼稚になっている事は事実だ。

 しかし、彼らは、はっきり言ってしまえば、目立ちたいだけの臆病者だ。実際に、冒頭の数人組は、市長が告訴するという強硬手段に訴え、新聞沙汰になったら、みんな青ざめて、警察署で「もうしません」と大泣きしたという(成人式は一度きりなのだから、「もうしません」もあったものじゃないが・・・)

 要するに、

・誰かが成人式で暴れて目立つ
・マスコミが嘆かわしいと報道する
・その報道を見て、「よし、来年は俺が目立ってやる」と思う
・マスコミが嘆かわしいと報道する

の悪循環。きつい事を言うようだが、晴れの成人の日に壇上で暴れるくらいしか自己アピールをする手段のない臆病者を、「幼児化している。嘆かわしい」という正論でマスコミが取り上げ、彼らを増長させているに過ぎない。

 仮に、マスコミが無視を決めて、荒れた成人式を一切報道しなかったら、彼らも暴れがいがないだろう。いや、暴れない可能性も多分にある。

 成人式の邪魔をする行為は、明らかに刑事違反だ。僕はこう思う。

・マスコミは一切報道しない
・告訴できる立場にある人は、迷わずに告訴

 暴れても目立てずに、警察沙汰になるだけ。これなら、暴れがいがなくなり、おとなしい成人式となることだろう。

2004年12月21日

舞台とテレビ

僕の趣味は観劇である。

昔は、大劇場の迫力満点の大掛かりな演出を楽しんでいたが、最近は逆に、小・中劇場での観劇を好むようになってきた。きっかけは、2002年に上演された井川遥主演の『HAKANA』。ファンクラブの先行予約で、幸運にも最前列の席が取れた。毛穴が見えそうなほどの至近距離で、彼女は悲しい場面では本当に涙を流し、遊女に扮しては妖艶に踊っていた。

その日を境に、2ヶ月に1度は小・中劇場に足を運ぶのが習慣になった。

ところが、その舞台は同時に、僕に大きな疑問を抱かせた。

ちなみに、井川遥は『HAKANA』に出演する直前まで、フジテレビの月曜日9時のドラマ枠、いわゆる「月9」で明石さんまや木村拓哉と競演していた。月9を見る人は1千万人ほどもいると言われる。一方で、小・中劇場のキャパシティは200~500名。

月9に出演するほどの人気女優が、たった数百名のために体を張って演技をし、しかも、映像として後世に残らないもののために、2ヶ月もハードな稽古を積む。

「テレビなら、一度に数百万人に見てもらえるのに、何を好き好んで数百人のために演じるのだろう?」
人気俳優の舞台を観に行くたびに感じる釈然としない思い。

ところが、先日、ひょんなことからその疑問は氷解した。

渋谷のとあるバーで知り合ったある俳優の女性マネージャー。
彼女曰く、その大物俳優も、活動の4分の1は舞台に当てているそうだ。訳を聞くと、彼女は2つを理由として挙げた。

1つは、観客のナマの反応を感じたいから。

1つは、お金と足を使って自分の演技を観に来てくれるファンあってこその俳優である、との思いから。

「だって、月9、月9と大騒ぎしたって、その反応は視聴率という無味乾燥な数字でしか量れないじゃないの。私に言わせれば、『猫が見てても視聴率』よ」と彼女は笑う。

その話を聞いて、僕は本に思いを馳せてみた。
確かに、本もテレビ同様に、多数の人々に自分の知識、思想を具現化して伝達する手段の一つではある。しかし、振り込まれた印税だけで読者の反応を推し量ることには限界がある。いや、それではあまりに虚しくはないか。

それに、一考しただけでは、本はテレビに近いメディアのように感じるが、熟考すると、より舞台に近い。本は、テレビのように、茶の間に座っていたら無料で手元に届くわけではない。今ではオンライ書店もあるが、お金と足を使わなければ手にすることはできない。

もし演技が下手だったら、拍手を拒む人もいる。途中で寝てしまうか、退席する人もいるだろう。身銭を切って足を運んだ人の当然の権利だ。そして、観客のそんな反応を見たくないから、役者は一瞬、一瞬を大切に演じる。

ライターも同じであると私は思う。
途中で放り投げられるような本を書いていたら、必ずや愛想を尽かされるに違いない。

正直、僕のレベルでは、執筆する本すべてが5つ星とはいかないが、せめて、拍手を拒まれるようなものだけは書くまいと、一文字、一文字に心を込める。

感想をメールでいただいたり、Webサイトでレビューを目にすると、読者と心が通い合った、と感じる。

そして、その瞬間に僕の脳内から溢れ出るホルモンは、役者が舞台に立っているときに溢れ出ているそれと同じものではないだろうか。

役者やライターに限った話ではない。
全力で仕事に取り組み、満足のいく評価を得る。
その瞬間に脳内で物質化するホルモンは、何物にも変えがたい最高のご褒美である。

2004年12月06日

これはピカソね!

どうしても、書き殴りのブログに馴染めない。しかし、「やろう」と思った以上、週に1つくらいはアップしないと・・・。ということで、ショートストーリーでお目汚し。

とある美術館。優雅に鑑賞していたセレブ(と思われる)な夫人が言った。

「あら、これはマネね。私、この作品、大好き」

恐る恐る館員は言う。

「奥様。それはモネでございます」

恥ずかしさをおし隠すための演技か、わざと不機嫌そうな顔をして見せた直後、再び、夫人が言った。

「あら、サガールじゃないの。ここ、素敵な作品が多いわね」

再び、館員。

「奥様、それはシャガールでございます」

しかし、その直後、益々、大恥をかいた夫人に一発逆転のチャンスが訪れた。

「あら、この不思議な絵。これはわかるわ。これはピカソね!」

「いえ、奥様。それは鏡でございます」

2004年11月18日

大塚娘

大塚美容形成外科のCM。
ノリのいい明るいメロディーは大好きだが、歌詞はつい「おいおい」と突っ込みたくなってしまう。

「あいつの彼女も大塚娘~♪」

・・・。なぜ、あいつの彼女が大塚美容形成外科のお世話になっている事を、この歌の主人公は知っているんだ?

この歌を聴くたびに、「この大塚娘、二股かけてるな」と思ってしまうのは僕だけだろうか。
でなければ、女性が、こんな大切な事をやすやすと男に話すわけがない。
やっぱり、この娘は二股をかけている。
そうでなければ、歌詞の説明がつかない。

そして恐らく、「あいつ」は、自分の彼女が大塚娘である事は知らされていない。

ちなみに、元々の歌詞には「大塚美人~♪」だったらしいが、誇大表現ということでお役所の許可がもらえずに、「大塚娘~♪」となったらしいが、きっとそのことで頭が一杯だったのだろう。

みなさんも、このCMを見るときには、ノリのいい明るいメロディーに隠された複雑な人間模様に思いを馳せてみてはいかがだろうか?